ティリス・アル・ガルビーヤとは? わかりやすく解説

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ティリス・アル・ガルビーヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 01:32 UTC 版)

西ティリス
تيرس الغربية
1975年 - 1979年

国旗 国章
国歌: نشيد وطني موريتاني
モーリタニア国歌

青と緑の縞模様が西ティリス
首都 ダフラ
大統領
1975年 - 1978年 モクタル・ウルド・ダッダ
1978年 - 1979年 ムスタファ・ウルド・サレク
面積
1977年 88,000km²
人口
1977年 12,897人
変遷
マドリード協定締結 1975年11月14日
モーリタニアによる侵攻 1975年11月27日
スペイン領サハラの分割 1976年4月14日
モーリタニアの撤退 1979年8月5日
モロッコによる併合 1979年8月11日

ティリス・アル=ガルビーヤ(Tiris_al-Gharbiyya、アラビア語: تيرس الغربية)は、西サハラに存在したモーリタニアである。

解説

1975年マドリード協定を締結した後、モーリタニアは旧スペイン領サハラ南部3分の1を併合し、モロッコは北部3分の2を南部諸州として併合した[1]。モーリタニア、モロッコ、そして西サハラに於ける独立国家建設を目指すポリサリオ戦線との間で西サハラ戦争英語版が続いており、モーリタニアはフランスからの支援を受けていた。しかし、1978年にモーリタニアの首都ヌアクショットにてクーデターが発生し、ムスタファ・ウルド・サレク大統領が失脚したことで[2]、政府とポリサリオ戦線との間で停戦協定が結ばれ、翌年にモーリタニアは領有権を放棄し、占領地から撤退した。

尚、モーリタニア撤退後はモロッコが領有権を主張し、軍事侵攻した後併合した[3]

脚注




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