ティミー・シモンスとは? わかりやすく解説

ティミー・シモンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 15:42 UTC 版)

ティミー・シモンス
クラブ・ブルッヘでのシモンス (2015年)
名前
ラテン文字 Timmy SIMONS
基本情報
国籍 ベルギー
生年月日 (1976-12-11) 1976年12月11日(48歳)
出身地 ディースト
身長 186cm
体重 79kg
選手情報
ポジション DH / CB
利き足 右足
ユース
1982-1988 リルラール・スポルト
1988-1995 KTHディースト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1998 KTHディースト 81 (2)
1998-2000 ロンメル 61 (5)
2000-2005 クラブ・ブルッヘ 152 (22)
2005-2010 PSV 158 (14)
2010-2013 ニュルンベルク 102 (6)
2013-2018 クラブ・ブルッヘ 167 (16)
通算 736 (71)
代表歴
2001-2016 ベルギー 94 (6)
監督歴
2018–2019 クラブ・ブルッヘ (アシスタント)
2019–2020 クラブ・ブルッヘ (U-16)
2020–2021 SVズルテ・ワレヘム (アシスタント)
2021–2022 SVズルテ・ワレヘム
2023 FCVデンデルEH
2024- KVCウェステルロー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ティミー・シモンスTimmy Simons, 1976年12月11日 - )は、ベルギー王国フラームス=ブラバント州ディースト (en) 出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは主に守備的ミッドフィルダー

クラブ経歴

ベルギー

下部組織で育ったKTHディースト英語版でキャリアを開始した後、1部ロンメルSKでセンターバックとして定位置を掴み[1]、2シーズン後の2000年にクラブ・ブルッヘと契約した。

クラブ・ブルッヘでは、トロント・ソリード (en) 監督によって守備的ミッドフィルダーへ転向[1] させられながらも、ここでも同様にすぐさま定位置を確保し、最終的に長年クラブを支えてきたヘルト・ヴェルハイエン (en) から主将を引き継いでおり、ペナルティキッカーを務めるなど、シーズンを経る度に不可欠な選手へと成長した。退団するまでの間で2度のリーグ優勝と2度のカップ優勝、また、2002年にはベルギー・ゴールデン・シュー[2]、2003年には年間最優秀選手賞を受賞した[3]

PSV

2004-05シーズン終了後にオランダ1部フェイエノールトからオファーがあり、同胞バルト・ホールの助言もあって契約するかと思われていたものの、ルート・フリット監督が関心を示していなかった[4] ことや双方が望む移籍金額の開きにより交渉成立とはならず[5]、最終的に2005年6月29日に同じオランダ1部のPSVアイントホーフェンと4年契約を締結した[6]。PSVでも1季目から主力として、またPKキッカーとしてリーグ優勝に貢献し、次の2006-07シーズンには、チーム内で唯一リーグ戦全34試合に先発出場をする[7] 等、不可欠な存在となると、2007-08シーズン前の合宿中にロナルド・クーマン監督から現役引退をするフィリップ・コクーの後継として主将に任命され[7]、2007年9月27日には契約を2011年夏まで延長した[8]。同2007-08シーズンも変わらずにチームを献身的に支えるプレーは、ファンからも愛され、2007年10月8日のヴィレムII戦の際には自身を称えるバナーが掲げられる[9] 等、充実の一途を辿っており、最終的にGKのエウレリョ・ゴメスに並ぶ33試合に出場し、1度のPKを含む4得点でチームの4連覇達成に貢献した。

PSVに加入してから4季間での欠場はリーグ戦で3試合のみだったものの、2009-10シーズンに就任したフレット・ルッテン新監督は守備的MFの位置に新加入のオルランド・エンヘラールを据えたことで9試合の欠場、そして定位置を奪われて退団へと繋がった[10][11]

ニュルンベルク

1.FCニュルンベルクでのシモンス

2010年7月16日にドイツ1部1.FCニュルンベルクと2年契約を締結[12]。翌日のイプスウィッチ・タウンFCとの練習試合を以ってPSVと正式に別れを告げた[13] シモンスは、34歳という年齢ながらも1試合平均走行距離でリーグ全体8位を記録する豊富な運動量[14] のみならず、21日のボルシア・メンヒェングラートバッハとの開幕戦でリーグ戦初出場を飾って以降、リーグ戦全34試合にフル出場をしてチームの6位に貢献した[15]2011-12シーズンの冬の移籍市場では、古巣クラブ・ブルッヘから接触があったものの、2012年1月10日に契約を2014年6月まで延長している[16]。同2011-12シーズン、次の2012-13シーズンは全試合フル出場とはいかなかったが、リーグ戦全試合に出場し、チームは2季連続10位だった。

クラブ・ブルッヘ復帰

2013年6月12日にクラブ・ブルッヘと延長オプション付きで2年契約を締結し、8年ぶりに古巣に復帰を果たす[17]。復帰第1戦となったシャルルロワSCとの開幕戦では、エデルソン・トルメナ (en) へのファールで21分に退場している[18]

代表経歴

ベルギー代表としては2002 FIFAワールドカップに出場。代表出場34試合目となった2004年のセルビア戦で初主将を務め[19]、その後のレネ・ヴァンデレイケン (en) 時代とフランキー・ベルコーテレン監督時代には定期的な主将だった[20] が、2009年9月9日のアルメニア戦を最後にトーマス・フェルメーレンへ主将の座が渡り、後任のディック・アドフォカート監督時代には招集されずにいた[21]。アドフォカート監督の後任のジョルジュ・レーケンス監督の下では、経験豊富さを買われ、2010年8月にフィンランド戦へ向けて招集されて[20] 以後は重用されており、UEFA EURO 2012予選では10試合全てで先発出場をしていたが、マルク・ヴィルモッツ監督が就任するとアクセル・ヴィツェルをレギュラーに据えることに決定したため[22]、控えにまわることが多くなり、最終的に2014 FIFAワールドカップのメンバーから落選した。シモンスの不在は大きく驚かせ、Twitter上では議論となっていた[23] が、ヴィルモッツ監督は「ティミーとは2002年W配で共にプレーしてきた仲であり、感情的に非常に難しい選択だったが、その位置にはヴィツェルやマルアン・フェライニがおり、スティーヴン・ドフールもいる。彼らは若いが成熟している」と説明した[24][25]

指導歴

2021年12月17日、SVズルテ・ワレヘムの監督に就任した[26]

2023年2月、FCVデンデルEHの監督に就任した[27]。 2023-24シーズンにデンデルで昇格を勝ち取り、クラブは2009年以来初めてジュピラー・プロ・リーグに復帰した.[28]。 2024年5月23日、KVCウェステルローの監督に就任した[29]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 94試合 6得点(2001年-2016年)[30]


ベルギー代表国際Aマッチ
出場得点
2001 6 0
2002 14 0
2003 8 0
2004 6 0
2005 8 2
2006 9 1
2007 7 0
2008 8 0
2009 8 0
2010 5 0
2011 10 3
2012 2 0
2013 2 0
2014 0 0
2015 0 0
2016 1 0
通算 94 6

タイトル

クラブ

クラブ・ブルッヘ
PSVアイントホーフェン

個人

脚注

  1. ^ a b "PSV deelt met aankoop Simons gevoelige tik uit"
  2. ^ "Timmy Simons: Waardering voor stofzuiger"
  3. ^ "Timmy Simons beste speler van België"
  4. ^ "Feyenoord wil Timmy Simons voor ervaring"
  5. ^ "Feyenoord: 'Oude Simons kostte te veel'"
  6. ^ "Timmy Simons vier jaar naar PSV"
  7. ^ a b "Timmy Simons nieuwe aanvoerder PSV"
  8. ^ "Timmy Simons verlengt contract bij PSV met twee jaar"
  9. ^ "Simons, onze leeuw van Vlaanderen"
  10. ^ "Rutten: ‘Vertrek van Simons is het beste voor alle partijen’"
  11. ^ "Simons en Manco weg, Reis terug"
  12. ^ "Timmy Simons ruilt PSV voor FC Nürnberg"
  13. ^ "PSV zwaait Simons uit met overwinning"
  14. ^ "Timmy Simons tweede snelste in Bundesliga"
  15. ^ "Simons overweegt langer verblijf bij 1. FC Nürnberg"
  16. ^ "Timmy Simons niet naar Club Brugge"
  17. ^ "Club Brugge haalt Simons terug uit Duitsland"
  18. ^ "Club Brugge klopt Charleroi, Simons pakt rood bij terugkeer"
  19. ^ "Simons voor het eerst aanvoerder Rode Duivels"
  20. ^ a b "Leekens: 'Scherpe Simons is een meerwaarde voor Belgische ploeg'"
  21. ^ "Simons: "Resultaat halen is ook een talent""
  22. ^ "Wilmots wil Simons in trainersstaf: "Witsel heeft zijn rol op het veld overgenomen""
  23. ^ "Niet-selectie Timmy Simons verdeelt ook Twitter"
  24. ^ "Wilmots: "Niet-selectie Simons emotioneel moeilijk""
  25. ^ "Wilmots: "Dit was heel moeilijk voor Simons en mij""
  26. ^ Zulte Waregem neemt afscheid van coach Francky Dury, sportmagazine.knack.be, 17 December 2021
  27. ^ Ook Timmy Simons speelt nog 2 jaar langer thuis in het Dender Football Complex.”. FCV Dender EH (1 June 2023). 2023年6月30日閲覧。
  28. ^ Dender back in Jupiler Pro League, RFC Seraing drops to first national”. Pro League (19 April 2024). 2025年3月10日閲覧。
  29. ^ Timmy Simons verlaat FC Dender”. FCV Dender (23 May 2024). 2025年3月10日閲覧。
  30. ^ ティミー・シモンス - National-Football-Teams.com

外部リンク





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