ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス_(紀元前123年の執政官)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス_(紀元前123年の執政官)の意味・解説 

ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス (紀元前123年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 16:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス
T. Quinctius T.f. T.n. Flamininuss
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 クィンクティウス氏族
官職 法務官紀元前126年以前)
執政官紀元前123年
テンプレートを表示

ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスラテン語: Titus Quintius Flamininus、生没年不詳)は、紀元前2世紀中期・後期の共和政ローマの政治家。紀元前123年執政官(コンスル)を務めた。

出自

フラミニヌスはパトリキ(貴族)であるクィンクティウス氏族の出身。ノーメン(氏族名)のクィンクティウスは、プラエノーメン(第一名、個人名)のクィントゥス(数字の5)に由来する[1]。何人かの古代の著述家は、クィンクティウス氏族の歴史は初代ローマ王ロームルスの時代に遡り、ルペルカーリア祭との関連を述べている[2][3][4]ティトゥス・リウィウスによれば、ローマ第三代王トゥッルス・ホスティリウスの時代にセルウィリウス氏族、ゲガニウス氏族、クリアティウス氏族、クロエリウス氏族、トゥッリウス氏族と共にアルバ・ロンガから移住したとする[5]。カピトリヌスのファスティには、紀元前471年にティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥスが氏族最初の執政官となって以来、継続的にクィンクティウス氏族出身の執政官が記録されている[6][7]。ラミニヌスの祖父は神官(フラーメン)であり、このためその子孫がフラミニヌスのコグノーメン(第三名、家族名)を名乗ったとの仮説がある[8][9]

カピトリヌスのファスティの損傷のため、父および祖父の名前は不明であるが、紀元前150年の執政官ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスが父、紀元前198年の執政官ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスが祖父であると思われる。しかし、祖父はその兄で紀元前198年の執政官ルキウス・クィンクティウス・フラミニヌスが父である可能性もある[10]

経歴

執政官就任年とウィッリウス法の規定から逆算して、フラミニヌスは遅くとも紀元前126年にはプラエトル(法務官)に就任したはずである。紀元前123年には執政官に就任する。同僚執政官はプレブスのクィントゥス・カエキリウス・メテッルスであった[11]。同年にガイウス・センプロニウス・グラックス(グラックス弟)が護民官に当選し、兄の意思を継いで過激な改革を開始した[12]

フラミニヌスの執政官任期中に、スキピオ・アエミリアヌスによって紀元前142年に破壊されたカルタゴの地に、ローマの植民都市が建設されることとなった(コロニア・ユノニア)。しかし、ティトゥス・リウィウス[13]プルタルコス[14]は、これを翌紀元前122年のことで、グラックスを建設責任者としている。何れにせよ、このコロニア・ユノニアは、地中海の対岸に建設された、最初の植民都市であった。

キケロはフラミニヌスを子供の頃に見たことがあり、「彼は立派なラテン語の能力を認められていたが、教養は無かった。」と評している[15]

脚注

  1. ^ Gundel H. "Quinctius", 1963, s. 987-988.
  2. ^ オウィディウス『祭暦』、II, 373.
  3. ^ アウレリウス・ウィクトル『ローマ氏族の起源』、XXII, 1.
  4. ^ Gundel H. "Quinctius", 1963, s. 988
  5. ^ リウィウスローマ建国史』、I, 30, 2.
  6. ^ カピトリヌスのファスティ
  7. ^ Gundel H. "Quinctius", 1963, s. 989.
  8. ^ Gundel H. "Quinctius 42", 1963, s. 1039.
  9. ^ Pfeilschifter R., 2005, s. 32
  10. ^ Münzer F. 1920, s. 120.
  11. ^ Broughton I, pgs. 512
  12. ^ リウィウス『ローマ建国史』、エピトーム60.7
  13. ^ リウィウス『ローマ建国史』、エピトーム60.8
  14. ^ プルタルコス『対比列伝:ガイウス・グラックス』、X
  15. ^ キケロ『ブルトゥス』、259

参考資料

古代の資料

研究書

  • Drumann W. Geschichte Roms in seinem Übergange von der republikanischen zur monarchischen Verfassung oder Pompeius, Caesar, Cicero und ihre Zeitgenossen. Hildesheim, 1964.
  • Broughton R. Magistrates of the Roman Republic. - New York, 1951. - Vol. I.
  • Gundel H. Quinctius // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1963. - T. XXIV, 1 . - S. 987-997 .
  • Gundel H. Quinctius 42 // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1963. - T. XXIV, 1 . - S. 1039-1040 .
  • Münzer F. Römische Adelsparteien und Adelsfamilien. - Stuttgart, 1920
  • Pfeilschifter R. Titus Quinctius Flamininus. Untersuchungen zur römischen Griechenlandpolitik. - Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 2005

関連項目

公職
先代:
ガイウス・カッシウス・ロンギヌス
ガイウス・セクスティウス・カルウィヌス
執政官
同僚:クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・バリアリクス
紀元前123年
次代:
グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス
ガイウス・ファンニウス



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス_(紀元前123年の執政官)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス_(紀元前123年の執政官)」の関連用語

ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス_(紀元前123年の執政官)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス_(紀元前123年の執政官)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス (紀元前123年の執政官) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS