ティトゥス・オタキリウス・クラッスス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 23:55 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ティトゥス・オタキリウス・クラッスス Titus Otacilius Crassus |
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官職 | 執政官(紀元前261年) |
出身階級 | プレブス |
氏族 | オタキリウス氏族 |
出生 | 不明 |
死亡 | 不明 |
指揮した戦争 | 第一次ポエニ戦争(紀元前261年) |
ティトゥス・オタキリウス・クラッスス(ラテン語: Titus Otacilius Crassus (T. Otacilius C. f. M'. n. Crassus))は、共和政ローマ中期の政治家・将軍。紀元前261年にルキウス・ウァレリウス・フラックスと共に執政官(コンスル)に選出され、第一次ポエニ戦争を指揮した。
経歴
クラッスス、フラックスの両執政官共に、シケリア(シチリア)に派遣され、カルタゴと戦った[1]。クラッススはローマ側に投降しようとしたガリア人傭兵4,000人を殺したとされる[2][3]。
クラッススはマルクス・クラウディウス・マルケッルスの前妻と結婚している。マルケッルスの同名の息子マルクス・クラウディウス・マルケッルスは「ローマの剣」と称された有名な将軍であるが、そのクラッススとは半兄弟となる[4]。紀元前263年の執政官マニウス・オタキリウス・クラッススは兄弟と推定される。
脚注
参考資料
- Thomas Robert Shannon Broughton : The Magistrates of the Roman Republic . Vol. 1, New York, 1951, p. 204.
関連項目
公職 | ||
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先代: ルキウス・ポストゥミウス・メゲッルス、 クィントゥス・マミリウス・ウィトゥルス |
ローマの執政官(コンスル) 紀元前261年 同僚 ルキウス・ウァレリウス・フラックス |
次代: グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ、 ガイウス・ドゥイリウス |
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