ティトゥス・ウェルギニウス・トリコストゥス・カエリオモンタヌス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 03:54 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ティトゥス・ウェルギニウス・トリコストゥス・カエリオモンタヌス T. Verginius Tricostus Caeliomontanus |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | パトリキ |
氏族 | ウェルギニウス氏族 |
官職 | 執政官(紀元前448年) |
ティトゥス・ウェルギニウス・トリコストゥス・カエリオモンタヌス(ラテン語: Titus Verginius Tricostus Caeliomontanus、生没年不詳)は共和政ローマの政治家・軍人。紀元前448年に執政官を務めた。なお、カピトリヌスのファスティはこの年の部分が破損しており、彼の名前はリウィウスが「T. Verginius Caelimontanus」[1]、ディオニュシオスが「Τίτος Ούεργίνιος」[2]、ディオドロスが「Τίτον Στερτίνιον Στρούκτορα」[3]、354年の年表では「 (Coritinesano et) Tricosto」等と諸説ある。ここではT. R. S. Broughtonに従う[4]。
経歴
紀元前448年、ウェルギニウスは同僚のラルス・ヘルミニウス・コリティネサヌスと共に執政官に選出された。『ローマ古代誌』はこの年の記述が失われているが、リウィウスによれば、この前年行われた護民官選挙で、この年の護民官が定員10名のところ5名しか選出されていなかったので、足りない5名が現職護民官によって決められ、そのうち2人がパトリキである紀元前454年の元執政官であった[5]。護民官の1人ルキウス・トレボニウスはこの事に怒り狂い、護民官選挙は定員の10名が決まるまで続けるとするトレボニウス法を提出した。それ以外では国内外とも平和であったという[6]。
出典
参考文献
- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国以来の歴史 2』岩谷智訳、京都大学学術出版会、2016年。
- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
関連項目
公職 | ||
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先代: 執政官 ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス マルクス・ホラティウス・バルバトゥス |
執政官 同僚:ラルス・ヘルミニウス・コリティネサヌス 紀元前448年 |
次代: 執政官 マルクス・ゲガニウス・マケリヌス ガイウス・ユリウス・ユッルス |
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