ダヤン・ハーンの死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 06:48 UTC 版)
1524年にダヤン・ハーンが亡くなると、後継者で孫のボディ・アラクがまだ若いということで、バルス・ボラト・サイン・アラク晋王は右翼三トゥメンを背景に自らハーン位についた。しかし、ボディ・アラクは左翼三トゥメンを率いてバルス・ボラト・サイン・アラク晋王に退位を迫り、ハーン位についた。 ハーン位を退いたバルス・ボラト・サイン・アラク晋王は右翼の大部分を領し、弟のアルス・ボラト・メルゲン皇太子(ホンタイジ)は七トゥメトを領した。
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