ダハボン川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/19 02:38 UTC 版)
ダハボン川(ダハボンがわ、スペイン語: río Dajabón[1]は、フランス語で「虐殺の川」を意味するマサクル川(フランス語: Rivière Massacre) とも呼ばれる[1]、イスパニョーラ島の川で、ドミニカ共和国とハイチの国境を成している。島を東西に二分するこの境界線の起源は、1776年に、スペイン領サント・ドミンゴ総督ホセ・ソラーノ・イ・ボーテとフランス領サン=ドマング総督エネリー伯爵が、北部ではこの川を境界とし、南部ではペデルナレス川 (río Pedernales) を境界とすると定めたときに遡る。この取り決めは、1777年にアランフエス条約として批准された。ただし、今日もハイチとドミニカ共和国の国境となっているのは、軍の駐屯地があるラ・ボンバ (La Bomba) から、税関の建物のほぼ対岸にある、ラ・ビギア運河 (canal La Vigía) の水門までの5kmほどの範囲だけである。
- ^ a b Gobiernos de la República Dominicana y de Haití (1929年1月21日). “Tratado entre República Dominicana y Haití sobre Delimitación Fronteriza entre Ambos Países”. 2014年5月18日閲覧。
- 1 ダハボン川とは
- 2 ダハボン川の概要
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