タタソールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 外国人名の読み方 > タタソールの意味・解説 

タタソール

名前 Tattersall

リチャード・タタソール

(タタソール から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 02:33 UTC 版)

リチャード・タタソール(Richard Tattersall、1724年 - 1795年)は、イギリス実業家競走馬競売を世界で初めて業務として成立させたことで知られる。

経歴

1724年ランカシャー西部のハーストウッド村で生まれる。父は熱心なジャコバイトであったがリチャードは政治活動に関心を抱かず、チャールズ・エドワード・ステュアート1745年に起こした反乱の戦火がランカシャーに及んだことを嫌い、ロンドンに移住した。1753年に馬を扱う業者「ビーバーズ倉庫」に馬丁として就職。やがてジョッキークラブのメンバーだったキングストン公爵直属の馬丁となり、ジョッキークラブと深い関わりをもつようになった。1766年、リチャードはキングストン公爵を通じて知り合ったグローヴナー伯爵からロンドンのベレグレイヴィア地区にある伯爵所有の土地を借り受け、の取引を行う会社(タタソールズ社)を設立。競売形式で競走馬、狩猟馬、乗用馬、猟犬などの取引を行った。競走馬を競売形式で取引したのはタタソールズ社が世界で初めてであり、事業は大きな成功を収めた。事業を通じてタタソールはジョッキークラブとの繋がりを深めていき、ロンドンにおけるクラブの会合場所として建物の一角を提供するまでに至った。[1]

1779年、ボリンブルック卿から競走馬ハイフライヤーを2500ポンドで譲り受け、種牡馬にした。ハイフライヤーは1785年から1798年にかけて13回リーディングサイアー(勝利数による統計)を獲得し、リチャードは種付け料や自らの繁殖牝馬と交配して生まれた仔馬の売却によって莫大な利益を得た。本業に加え競走馬生産者としても成功を収めたことで、リチャードのイギリス競馬界における名声は大いに高まった。

1780年、タタソール自身の私的な会員制クラブをつくり、会員のみで賭けのやり取りを行うようになった。[1] 現在でも競馬場の区画の中で会員制のものの一つをタタソールズ・リングと呼ぶことがあるが、これはタタソールが賭事を仕切っていた名残と考えられている。[1]

リチャードが設立したタタソールズ社は子孫に引き継がれ、現在もイギリスで競走馬競売事業を手掛けている。

脚注

  1. ^ a b c 『イギリス文化と近代競馬』彩流社、2013年10月25日、67-70頁。 


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「タタソール」の関連用語

タタソールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



タタソールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリチャード・タタソール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS