タイの行政区画として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 18:59 UTC 版)
後にラーマ5世により、チャックリー改革によりモントン(州制)が導入されると、このムアンを中心とした一つのまとまった領域は中央集権化によって独立性が低下し、国主の制度(ムアンは財政的に国から独立していた)が廃止されモントンの下位の行政区分となった。これがいわゆる現在まで続くタイの県(チャンワット)の原型となる。1916年以降、それまでムアンと呼ばれていた県はチャンワットと名付けられたとして新たに位置づけられ、行政区分としてのムアンは廃止された。しかし、各県の県庁所在地にはアユタヤ郡をのぞきムアンという語を冠する習慣が残っている。
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