セルカーク (マニトバ州)とは? わかりやすく解説

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セルカーク (マニトバ州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/24 00:19 UTC 版)

セルカーク

Selkirk
City of Selkirk
セルカーク給水塔
標語: 
where it all comes together(すべてが一つになる場所)[1]
セルカーク
マニトバ州での位置
座標:北緯50度08分37秒 西経96度53分02秒 / 北緯50.14361度 西経96.88389度 / 50.14361; -96.88389座標: 北緯50度08分37秒 西経96度53分02秒 / 北緯50.14361度 西経96.88389度 / 50.14361; -96.88389
カナダ
 マニトバ州
行政区 インターレイク地域
入植 1813年
市制施行 1998年
面積
 • 合計 24.47 km2
標高
225 m
人口
(2021)[2]
 • 合計 10,504人
 • 密度 430人/km2
等時帯 UTC-6 (CST)
 • 夏時間 UTC-5 (CDT)
ウェブサイト www.myselkirk.ca

セルカーク: Selkirk)は、カナダ·マニトバ州南部にある。州都ウィニペグから南に約100kmの位置にある。人口は約13,700人。ペンビーナ渓谷地域最大の都市で、地域の商業や行政のハブになっている。

歴史

現在のセルカークの都市部は、第5代セルカーク伯爵トーマス・ダグラスがハドソン湾会社から購入した[3]、広大なルパート・ランドのうちレッド川流域の16万平方マイル(41万平方キロメートル)の区画の中心付近に位置している。セルカーク伯爵はハドソン湾会社の大株主であった。

レッドリバー植民地の最初の入植者がスコットランドから到達したのは1813年であった。入植者たちはハドソン湾会社の権威を背景にこの地域のソルトー族インディアン平原オジブワ族)と条約を結んだと言う立場だったが、1816年にはかねてから商業的競争が原因で対立していたハドソン湾会社(とレッドリバー植民地の入植者)と北西会社(ハドソン湾会社の権威をそもそも認めていなかったメティも北西会社側についた)の間で「セブン・オークスの戦い」という戦闘を引き起こした。戦闘はセルカーク伯爵側が21名の死者を出し[4] 終了したが、その後の調査委員会で北西会社の権利も認めメティも免罪された。セルカーク伯爵側は控訴[5]したが伯爵の健康状態が悪化し1820年に死亡[6]ハドソン湾会社北西会社は1821年に合併した。

1812年にレッドリバー植民地に到着した最初の入植者

本国で貧困に苦難していたスコットランド系の農民を中心とした入植者をこの地域に導いたセルカーク伯爵の活動を顕彰し、町はセルカークと名付けられ、1882年に町制施行された。

経済

「世界のナマズ首都」(Catfish Capital of the World )と訴求されているほどナマズの生息量が多く、その大きさもアメリカからのアングラー(釣り人)が集まるほどの人気である。

マニトバ州最大の心療内科病院のセルカーク精神衛生センターがあり、市最大の雇用先となっている。ブラジル鉄鋼メーカー、ジェルダウ傘下の小規模の製鉄所もある。

交通

  • セルカーク空港

脚注

  1. ^ selkirk”. 2024年8月19日閲覧。
  2. ^ Census Profile, 2021 Census of Population, City of Selkirk”. Statistics Canada. February 9, 2022閲覧。
  3. ^ Stephen, Leslie, ed. (1888). "Douglas, Thomas (1771–1820)" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 15. London: Smith, Elder & Co.
  4. ^ Francis, R. Douglas; Jones, Richard; Smith, Donald B. (2000). Origins: Canadian History to Confederation (4th ed.). Toronto: Harcourt Canada. pp. 434–5. ISBN 978-0-17644-243-9 
  5. ^ Bryce, George (1912). Life of Lord Selkirk. Toronto: The Musson Book Company. p. 81. https://archive.org/details/lifeoflordselkir00brycrich 
  6. ^ Henderson, Anne Matheson (1968). “The Lord Selkirk Settlement at Red River, Part 2”. Manitoba Pageant (Manitoba Historical Society) 13 (2). http://www.mhs.mb.ca/docs/pageant/13/selkirksettlement2.shtml. 

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