スルターン (ムガル皇子)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 09:17 UTC 版)
| スルターン Sultan |
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| ムガル帝国皇子 | |
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| 全名 | ムハンマド・スルターン |
| 出生 | 1639年12月29日 マトゥラー近郊 |
| 死去 | 1676年12月14日 デリー、サリームガル城 |
| 配偶者 | パードシャー・ビービー |
| グルルフ・バーヌー・ベーグム | |
| ドーストダール・バーヌー・ベーグム | |
| ダウラターバーディー・マハルの姪 | |
| ほか2名 | |
| 子女 | マスウード・バフシュ |
| 父親 | アウラングゼーブ |
| 母親 | ナワーブ・バーイー |
スルターン(Sultan, 1639年12月29日 - 1676年12月14日)は、北インド、ムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの長男。母はナワーブ・バーイー。第7代皇帝バハードゥル・シャー1世の兄でもある。しばしば全名のムハンマド・スルターン(Muhammad Sultan)の名で呼ばれる。
生涯
1639年12月29日、ムガル帝国の皇帝(まだ皇帝ではない)アウラングゼーブとその妃ナワーブ・バーイーとの間に生まれた[1]。
1656年4月、スルターンはゴールコンダ王国の君主アブドゥッラー・クトゥブ・シャーの娘パードシャー・ビービーと結婚した[1]。
1657年9月、祖父である皇帝シャー・ジャハーンが重病となり、父アウウラングゼーブを含む4人の皇子が争うことになると、スルターンは叔父のシャー・シュジャーに味方した[1]。
1659年6月には、スルターンはシャー・シュジャーの軍総司令官と首席顧問に任命され、彼の娘グルルフ・バーヌー・ベーグムと結婚した[1]。
1660年2月20日、スルターンはアウラングゼーブのもとへと戻ったが、5月8日にサリームガル城へと投獄された[1]。
1661年1月14日、アウラングゼーブの命により、スルターンはサリームガル城からグワーリヤル城へと移送された[1]。
1672年12月、スルターンはグワーリヤル城からサリームガル城へと再び移送され、1676年12月14日に幽閉中のまま死亡した[1]。
出典・脚注
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