スティーブ・ベイカー (オートバイ選手)とは? わかりやすく解説

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スティーブ・ベイカー (オートバイ選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/14 03:43 UTC 版)

Steve Baker
グランプリでの経歴
国籍 アメリカ合衆国
活動期間 1977 - 1978
チーム ヤマハスズキ
レース数 15
優勝回数 0
表彰台回数 7
通算獲得ポイント 122
ポールポジション回数 1
ファステストラップ回数 0
初グランプリ 1977 500cc ベネズエラ
最終グランプリ 1978 500cc 西ドイツ
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スティーブ・ベイカー(Steve Baker、1952年9月5日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州ベリンハム出身の元オートバイレーサー。1977年のフォーミュラ750世界選手権チャンピオンであると同時に、アメリカ人として初めてオートバイの世界タイトルを獲得したライダーでもある[1]

略歴

パシフィックノースウエスト(北アメリカの太平洋沿岸地域)でダートトラックからレースキャリアを始めたベイカーは、やがてロードレースに転向し、3度カナダ国内選手権のチャンピオンとなった[1]

最も好成績を残したのは、ヤマハファクトリーのサポートを受けた1977年。この年、デイトナ200に勝利した後でヨーロッパに渡り、フォーミュラ750世界選手権のタイトルを獲得すると同時に、ロードレース世界選手権500ccクラスではバリー・シーンに次ぐランキング2位を得る[2][3]

しかし1978年にはヤマハを放出されてしまい、スズキのサポートを受けながらプライベーターとして選手権を戦ったが、この年のシーズン終了後、カナダのモスポート・インターナショナル・レースウェイでの事故によって腕と左足に重傷を負ってしまう[1]。結局この怪我により、ベイカーはレース活動からの引退を決意した。

引退後は故郷のベリンハムでオートバイディーラーを経営している[1]。1999年にはAMAモーターサイクル殿堂入りを果たした[1]

主な戦績

ロードレース世界選手権

1969年から1987年までのポイントシステム

順位 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
ポイント 15 12 10 8 6 5 4 3 2 1
  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1977 500cc ヤマハ VEN
2
AUT
-
GER
3
ITA
4
FRA
3
NED
5
BEL
2
SWE
3
FIN
-
CZE
-
GBR
2
2位 80
1978 500cc スズキ VEN
3
SPA
6
AUT
-
FRA
-
ITA
4
NED
9
BEL
-
SWE
4
FIN
6
GBR
4
GER
7
7位 42

脚注




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