ジュリエッタマシーナとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 芸能人 > 俳優・女優 > イタリアの俳優 > ジュリエッタマシーナの意味・解説 

ジュリエッタ・マシーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/04 03:18 UTC 版)

ジュリエッタ・マシーナ
Giulietta Masina
1966年、撮影
本名 Giulia Anna Masina
生年月日 (1921-02-22) 1921年2月22日
没年月日 (1994-03-23) 1994年3月23日(73歳没)
出生地 イタリアボローニャ
死没地 イタリアローマ
国籍 イタリア
配偶者 フェデリコ・フェリーニ (1920 - 1993)
受賞
カンヌ国際映画祭
女優賞
1957年カビリアの夜
その他の賞
テンプレートを表示

ジュリエッタ・マシーナGiulietta Masina, 本名: Giulia Anna Masina, 1921年2月22日 - 1994年3月23日)は、イタリア女優ボローニャ出身。

略歴

大学教授の娘で文学を学んでいたが演劇に転向、ローマ大学で学ぶ。大学卒業後の1943年、ラジオに出演していた時、そのラジオドラマの脚本を書いたフェデリコ・フェリーニと出会い、同年結婚[1]。1945年に誕生した生後1か月の息子を病気で亡くしている[1]

映画初出演はロベルト・ロッセリーニ監督作品の『戦火のかなた』。その後『』などのフェリーニ作品だけでなく幅広く活躍したが、やはりマシーナの魅力はフェリーニ作品、特に『道』の知的障害を抱えた女性大道芸人ジェルソミーナ[1]、『カビリアの夜』の娼婦カビリア[1]など人間、とくに弱い(立場の)愚かな女性の内面を見事なまでにスクリーンに表現しえた演技と個性(美人というわけではなく、プロポーションも良いといえない。小柄で丸く大きな目をした[1]、愛嬌のある顔立ち)にあった。

1957年の『カビリアの夜』でカンヌ国際映画祭 女優賞を受賞している[1]。1970年代以降は、時折テレビ映画に出演する以外に、長く映画の女優活動からは遠ざかっていたが[1]、1980年代に『ジンジャーとフレッド』で20年振りにマルチェロ・マストロヤンニと共演するなど[1]、達者な姿をスクリーンに見せてくれた。

フェリーニとは金婚式を迎えた同じ1993年に、フェリーニが病死するまで連れ添った(一時期別居していた事はあった)[1]。マシーナが肺癌で他界したのはフェリーニの死から5か月後のことだった[1]

主な出演作品

寄席の脚光』(1950年)
』(1954年)

脚注

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

ジュリエッタマシーナのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジュリエッタマシーナのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジュリエッタ・マシーナ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS