ジミー・ドーリットル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 02:26 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ジェイムズ・ハロルド・ドーリットル James Harold Doolittle |
|
---|---|
![]()
ドーリットル中将
|
|
渾名 | ジミー |
生誕 | 1896年12月14日 カリフォルニア州 アラメダ |
死没 | 1993年9月27日(96歳没) カリフォルニア州 ペブルビーチ |
所属組織 | アメリカ陸軍航空軍![]() |
軍歴 | 1917 - 1959 |
最終階級 | 空軍大将(1985年に序せられる) |
除隊後 | シェル石油副社長 |
ジェイムズ・ハロルド・ドゥリトル(James "Jimmy" Harold Doolittle, 1896年12月14日- 1993年9月27日)は、アメリカ陸軍の軍人、パイロット。日本ではドーリットルと表記されることが多い。1925年のシュナイダー・トロフィー・レースで優勝したことや1942年4月18日のドーリットル空襲を指揮したことで有名である。
主な経歴
- 1896年にカリフォルニア州のアラメダで生まれる。
- 1917年アメリカ陸軍航空部に入隊。
- 1922年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業。同年9月、De Havilland DH.4にてフロリダからサンディエゴまでを所要時間約21時間で飛び、初のアメリカ横断飛行を達成[1]。
- 1925年、航空工学の分野でマサチューセッツ工科大学(MIT)より博士号を授与された。また、同年10月にはR3C-2を駆ってシュナイダー・トロフィー・レース優勝を果たす。
- 1929年9月24日、計器飛行実験を行ない、操縦席を目隠しした飛行機で離陸、旋回、着陸に成功。
- 1930年に中尉で退役し、シェル石油の航空部に支配人として入社。同年ハーモン・トロフィーを獲得。
- 1931年ベンディックストロフィーを獲得。
- 1932年トンプソン・トロフィーで優勝[2]。
- 1940年軍に復帰
- 1942年
- 1944年1月、イギリス本土のアメリカ第8空軍の司令官、中将となった。
- 1946年5月10日予備役となった。
- 1957年アメリカ航空諮問委員会委員長に就任。
- 1959年に退役後、シェル石油の副社長などを歴任。同年米国科学アカデミーより公共福祉メダル受賞。
- 1985年4月4日、予備役大将に昇進。
部下
- ジェイコブ・デシェーザー軍曹 - 後に宣教師として日本に派遣された。
脚注
参考文献
- 佐貫亦男 著『空のライバル物語』 酣燈社、1971年
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ジミー・ドーリットルに関するメディアがあります。
固有名詞の分類
太平洋戦争の人物 |
嶋田繁太郎 岡田資 ジミー・ドーリットル 三川軍一 豊田副武 |
空軍名誉勲章受章者 |
リチャード・ボング ジミー・ドーリットル |
アメリカ合衆国のパイロット |
グレゴリー・ボイントン リチャード・バード ジミー・ドーリットル アイーダ・デ・アコスタ マイケル・J・スミス |
Weblioに収録されているすべての辞書からジミー・ドーリットルを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- ジミー・ドーリットルのページへのリンク