ジェームズ・ネアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 09:00 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ジェームズ・ネアン James Nairn |
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作者不明の肖像画
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生誕 | 1859年11月18日 イギリス,Kirkintilloch |
死没 | 1859年11月18日 ニュージーランド,ウェリントン |
ジェームズ・ネアン(James McLauchlan Nairn、1859年11月18日 - 1904年2月22日)はスコットランド生まれの画家である。ニュージーランドの美術学校で絵画を教え、イタリア生まれのジローラモ・ネルリ(Girolamo Pieri Pecci Ballati Nerli:1860-1926)とともに、19世紀後半のニュージーランドの美術に大きな影響を与えた。
略歴
スコットランド、イースト・ダンバートンシャーのカーキンティロックで生まれた。1879年から4年間、グラスゴー美術学校で学んだ後、パリのアカデミー・ジュリアンに入学した。
1880年代はグラスゴー美術研究所(Glasgow Institute of Fine Arts)やスコットランド王立美術院の展覧会に出展し、「グラスゴー・ボーイズ」と呼ばれた印象派に影響を受けたスコットランドの美術家のグループで活動した。
1890年に健康上の理由で、気候のいいニュージーランドのダニーデンに移住し、翌年ウェリントンに移った。ウェリントン実業学校の美術の教師となり、グラスゴーの美術家グループの印象派のスタイルをニュージーランドの学生に紹介し、ドーラ・リッチモンド(Dolla Richmond)、モード・シャーウッド(Maud Winifred Sherwood)、メーベル・ヒル(Mabel Hill)、モード・バージ(Maude Burge)、モーリー・トライプ(Mollie Tripe)といった画家たちに影響を与えた。
ウェリントンに移ってすぐ、ニュージーランド美術院(New Zealand Academy of Fine Arts)に入会し、1890年から1903年まで理事を務めた。ウェリントン美術クラブを創立し、ネアンの家が画家の集まる場所となった。ウェリントンで没した[1][2]。
ニュージーランドの海岸などの風景を描いた。
作品
脚注
- ^ Colin McCahon, Aukland City Art Gallery. Catalog: James Nairn, Edward Fristrom August 1964.
- ^ “James McLauchlan Nairn: the New Zealand years”. University of Canterbury. 2015年4月30日閲覧。
参考文献
- Biography in the 1966 Encyclopaedia of New Zealand
- Vial, Jane. "Nairn, James McLauchlan 1859–1904". Dictionary of New Zealand Biography. Ministry for Culture and Heritage. Retrieved 9 April 2011.
- Notes by Una Platts
- The Wellington Art Club by Una Platts
- Museum of New Zealand Te Papa Tongarewa James Nairn biography
- ジェームズ・ネアンのページへのリンク