ジェニー・イーキン・デロニーとは? わかりやすく解説

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ジェニー・イーキン・デロニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 01:29 UTC 版)

ジェニー・イーキン・デロニー
Jenny Eakin Delony
自画像
生誕 (1775-03-09) 1775年3月9日
アメリカ合衆国、ヘンプステッド郡
死没 1821年5月26日(1821-05-26)(46歳没)
アメリカ合衆国、リトルロック
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リトルロックのスタジオでのジェニー・イーキン・デロニー

ジェニー・イーキン・デロニー(Jenny Eakin Delony、1866年5月13日 - 1949年4月1日)はアメリカ合衆国の画家である。歴史的に有名な人物の肖像画などを描いた。2度結婚し、夫の姓から、ジェニー・イーキン・デロニー・ライス(Jenny Eakin Delony Rice)とジェニー・メイロウィッツ(Jenny Meyrowitz)としても知られている。

略歴

アーカンソー州ヘンプステッド郡のワシントンで、弁護士の娘として生まれた[1][2][3]バージニア州スタントンの女子学校(Wesleyan Female Institution)で学び、音楽と芸術で優れた成績で金メダルを受賞した[4]シンシナティの美術学校に進み、1886年から1888年まで学んだ。その後、パリに渡り、アカデミー・ジュリアンアカデミー・ドレクリューズで学び、ポール=ルイ・ドゥランスのスタジオで個人レッスンも受けた[5]

故郷のアーカンソー州のリトルロックにスタジオを開き、1880年代と1890年代に多くの有力者の肖像画を描いた。1891年12月にコロラド州デンバー出身のナサニエル・J・ライス(Nathaniel J. Rice)と結婚した。1892年から1893年まではセントルイスの美術学校で学び[5]、夫が、1893年に亡くなった後、バージニアの女子学校やノーフォークの若い女性のための学校で教えた。1895年にはヴェネツィアに渡り、イタリア人画家ステファノ・ノヴォ(Stefano Novo: 1862-1927?)に学んだ。1896年にパリ国立高等美術学校が女性の入学を認めることになると、最初の年の学生の一人として入学した。1897年から1899年まで、フェイエットビルのアーカンソー大学の初代の美術部長に任じられた。この間アメリカ人画家、ウィリアム・メリット・チェイス(1849-1916)にも学び、その秘書を務め、1891年から1901年の間チェースがニューヨークのロングアイランドのサザンプトンで開いたサマー・スクールで助手を務めた[6]

1900年にニューヨークに移り、スタジオを開いた。このころから女性参政権に関する運動に積極的に関わった。1904年にドイツのベルリンで開催された国際女性評議会(International Council of Women)にも参加した[7]

1910年11月に、イリノイ州シカゴのポール・A.・メイロウィッツ(Paul A. Meyrowitz)と2度目の結婚をしたが1920年代には別居し離婚した[4]

1935年にアーカンソー州のリトルロックに戻り、両親や家族と暮らした。1949年にリトルロックで亡くなった。

「American Artists Professional League」[4]やニューヨークの「Association of Women Painters and Sculptors」と「National Arts Club」の会員であった[8] 。ニューヨークのナショナル・アカデミー・オブ・デザインの女性としては初期の会員となった[9]

作品

脚注

  1. ^ American Art Annual. MacMillan Company; 1916. p. 458.
  2. ^ Who's who in the Central States: A Biographical Dictionary of Leading Men and Women of the Central States. v.1. Larkin, Roosevelt & Larkin; 1947. pp. 105, 391.
  3. ^ Alchyny Turner Delony (1828-1913). Collections. Smithsonian Institution. Retrieved April 27, 2014.
  4. ^ a b c Who's Who in Illinois. Chicago: Larkin, Roosevelt & Larkin, Ltd. 1947. p. 390.
  5. ^ a b Petteys, Chris, Dictionary of Women Artists, G K Hill & Co. publishers, 1985
  6. ^ Pisano, Ronald G. A Leading Spirit in American Art: William Merritt Chase, 1849-1916. Seattle: Henry Art Gallery, 1983, p. 185.
  7. ^ Women Artists in Arkansas. Archived 2014-04-28 at the Wayback Machine. Historic Arkansas. Retrieved April 27, 2014.
  8. ^ American Art Annual. MacMillan Company; 1916. p. 430.
  9. ^ Portrait (An African American Woman). Archived 2014-04-28 at the Wayback Machine. Historic Arkansas. Retrieved April 27, 2014.

参考文献

  • Former Arkansan Paints Portraits." Arkansas Gazette. May 20, 1923, p. 16.
  • Opitz, Glen B., ed. Mantle Fielding's Dictionary of American Painters, Sculptors, and Engravers. Poughkeepsie, NY: Apollo, 1987.
  • Who's Who in America 1948–1949. Vol. 25. Chicago: A. N. Marquis, 1949.



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