シネマ5開館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:19 UTC 版)
シネマ5支配人の田井肇(たいはじめ)は1976年に第1回湯布院映画祭が初開催された際のメンバーであり、第13回まで中心メンバーを務めた。1980年代末、二番館のシネマ5が閉館を検討した際に、府内五番街商店街のビルにある上映設備を田井が施設を譲り受け、1989年1月7日に名称を受け継いだミニシアターのシネマ5が開館。初回上映作品は『ベルリン・天使の詩』だった。 開館初日の1月7日朝には昭和天皇が崩御したため、シネマ5は休憩中の音楽もなくひっそりと営業した。開館時の資金は390万円であり、年間130万円ずつ赤字を出しても3年間は持つという試算だった。館名を変更しなかったのは、将来的な見通しがわからなかったためだという。 開館から5年が過ぎた頃には会員数が1000人を突破し、継続的に続けていく目途が立った。シネマ5開館から数年でシネマ1・2・3・4の4館が閉館し、2010年にはシネマ5から徒歩1分ほどの距離にあるセントラル劇場も閉館。大分市中心部の映画館はシネマ5のみとなった。
※この「シネマ5開館」の解説は、「シネマ5」の解説の一部です。
「シネマ5開館」を含む「シネマ5」の記事については、「シネマ5」の概要を参照ください。
- シネマ5開館のページへのリンク