サント・アントニオ・デ・リシュボア教会とは? わかりやすく解説

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サント・アントニオ・デ・リシュボア教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/06 04:59 UTC 版)

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メイン・ファサード。後方にリスボン大聖堂
祭壇

サント・アントニオ・デ・リシュボア教会Igreja de Santo António de Lisboa)は、ポルトガルリスボンにある教会パドヴァの聖アントニオに捧げられた教会として知られる。言い伝えによると、教会はかつて聖アントニオが生まれた場所に建てられたという。

歴史

聖アントニオは、フェルナンド・デ・ブルホエスという名前で、1195年に富裕な一家の子として生まれた。コインブラで学んでいた彼は1220年、フランチェスコ会に入信し、『アントニオ』という名を名乗るようになった。彼は布教活動のためイタリアへ渡り、パドヴァに移住した。彼の生前の行いが人々に知られていたため、彼は死後一年未満で列聖された。

フェルナンドが生まれ、家族がかつて住んでいた場所はリスボン大聖堂と非常に近く、15世紀に小さな礼拝堂となった。この初期の建物は何も残っておらず、マヌエル1世治下16世紀初頭に建て替えられた。リスボン議会は礼拝堂近くに議場を構えていた。聖アントニオ協会が16世紀に設立された。

1730年、ジョアン5世治下で教会は建て直され、再度装飾された。1755年のリスボン地震で教会の建物は破壊され、主礼拝堂のみが残っただけだった。建築家マテウス・ヴィセンテ・デ・オリヴェイラによるバロックロココ様式設計で1767年以降、再建された。これが現在の教会である。

1755年から、毎年6月13日に教会から礼拝行進が出発し、リスボン大聖堂を通過して近くのアルファマ丘陵を下って進む。これはサント・アントニオ祭と呼ばれ、信者の華やかな市中行進とともに、楽隊の音楽演奏がある。リスボン市民は、焼いたイワシを肴に赤ワインを飲む習わしで知られる。

1982年5月12日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が教会を訪問した。教皇は教会正面の広場で、聖アントニオ像(彫刻家ソアレス・ブランコ作)の除幕を行った。そして、聖人が生まれた場所を示す地下聖堂で、祈りを捧げた。





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