ゲデレーとは? わかりやすく解説

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ゲデレー【Gödöllő】

読み方:げでれー

グドゥルー


ゲデレー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/28 13:55 UTC 版)

ゲデレー
Gödöllő
市旗 市章
座標 : 北緯47度36分00秒 東経19度22分00秒 / 北緯47.60000度 東経19.36667度 / 47.60000; 19.36667
行政
 ハンガリー
  ペシュト県
 市 ゲデレー
市長 ゲーメシ・ジョルジ
地理
面積  
  市域 61.98 km2
人口
人口 (2010年現在)
  市域 33,901人
    人口密度   530.92人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 2100
市外局番 28
ハンガリー内のゲデレーの位置
公式ウェブサイト : http://www.godollo.hu/

ゲデレーハンガリー語:Gödöllő 、[[ˈgødølːøː]]、ドイツ語:Getterle)は、ハンガリーペシュト県の都市。

地理

ブダペストの北東30kmの地点にある。

歴史

14世紀以降、人がまばらながらも村があった。1541年からのオスマン帝国支配でさらに人口が減少した。

ゲデレーが成長を始めるのは1737年、ハンガリーの大地主グラシャルコヴィッチ・アンタル1世ドイツ語版がゲデレーの地を購入してからである。1741年以降、グラシャルコヴィッチ家はゲデレー宮殿を本宅とした。ゲデレー宮殿はハンガリー最大級のバロック様式建築であった。

グラシャルコヴィッチ家の断絶後の1867年、アウスグライヒによってオーストリア=ハンガリー皇帝にして国王となったフランツ・ヨーゼフ1世への贈り物として、政府からゲデレーが贈られた。ハプスブルク家の人々、特に皇后エリーザベトが訪問したことで、ブダペストに住む貴族たちの間でゲデレーを夏のリゾート地とするブームが起きた。このためにゲデレーのインフラストラクチャーすべてが整った。このゲデレーの地位は、ハンガリー摂政ホルティ・ミクローシュが夏の住まいを構えたように、維持され続けた。

ハンガリーが共産主義政権下に入ると、「ブルジョワの町としての印象緩和」のため産業が導入されたが、むしろセント・イシュトヴァーン大学農業科学部が置かれたことが契機となった。1966年に市制が敷かれた。

1989年の東欧革命以後、ゲデレーはサービス産業への難しい転換を迫られた。1990年にソビエト軍がゲデレー宮殿から撤退後、建物大部分が修復され、文化センターとなった。城館は、結婚式などお祝いの際に借りることができる。

ゲデレー近郊には、F1のサーキット、ハンガロリンクがある。

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