グループA/グループC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:27 UTC 版)
「鈴木亜久里」の記事における「グループA/グループC」の解説
その縁で亜久里は1984年に日産のF3エンジン開発を任され、1985年、ワークス活動を再開した日産のワークスドライバーに抜擢され、全日本ツーリングカー選手権(グループA)にニスモからスカイラインRSターボで参戦、また全日本耐久選手権(グループC)にも柳田とのコンビでローラ・T810/日産で参戦することになった。亜久里は初めて資金を気にしないでレースに専念できることになったのである。 翌1986年、テスト中の事故で死去した萩原光の後任としてニスモの一員としてル・マン24時間レースに初参戦。この年はグループAにてチャンピオンとなった。カートからフォーミュラカーに進んだが、初タイトルを取ったカテゴリーはツーリングカーレースとなった。
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