グランド=リヴィエール奇襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/12 01:05 UTC 版)
「セントローレンス湾方面作戦」の記事における「グランド=リヴィエール奇襲」の解説
9月13日、大尉のパウルス・アーヴィングが、軍艦ケニントンが護送する複数の小隊と共に、ケベック州のグランド=リヴィエールに派遣された。ここの責任者はド・ベルフィーユで、建物が60と漁船が80あった。アーヴィングの軍が到着した時には、住人は既に逃げており、すべての建物と漁船が焼かれた。ある家族と他に5人が捕虜にされた。 グランド=リヴィエールから3リーグ(14.48キロ)西に、パボスという漁村があった。(現在のケベック州シャンドレ)アーヴィングの軍がついた時、村人は森に逃げた。領主であるベルフィーユの屋敷はパボス川の小島に建てられていた。アーヴィングは27の家屋と17の建物を、15の大型船と共に焼き払い、すべてを失った村人を残して立ち去った。
※この「グランド=リヴィエール奇襲」の解説は、「セントローレンス湾方面作戦」の解説の一部です。
「グランド=リヴィエール奇襲」を含む「セントローレンス湾方面作戦」の記事については、「セントローレンス湾方面作戦」の概要を参照ください。
- グランド=リヴィエール奇襲のページへのリンク