グチュルクのイスラーム弾圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 08:02 UTC 版)
「ナイマン」の記事における「グチュルクのイスラーム弾圧」の解説
カラ・キタイの王位を獲得したグチュルクはアルマリクのカンであるオザルを服従させようとして、何度か兵を進め、遂に彼が出猟中に奇襲して殺害した。時に耶律直魯古の娘であるグチュルクの妻は仏教徒であったため、キリスト教徒であったグチュルクを説得して仏教に改宗させた。仏教徒となったグチュルクは武力によってホータンを支配すると、ムスリムであるそこの住民を無理矢理キリスト教徒か仏教徒に改宗させようとした。また、イマームたちの首領であるアラーウッディーン・ムハンマドを拷問の末、磔(はりつけ)の刑に処し、イスラームを棄てさせようとした。こうしてこの後もグチュルクのムスリムに対する迫害は続くこととなる。
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