グスタフ・クルーツィス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動グスタフ・クルーツィス Gustav Klutsis | |
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生誕 | 1895年1月4日 Ķoņu pagasts |
死没 | 1938年2月26日 Polygone de Boutovo |
グスタフ・グスタヴォヴィチ・クルーツィス(Gustav Klutsis (Klucis), Густав Густавович Клуцис, 1895年 - 1944年[1])は、ロシア帝国・ソビエト連邦のグラフィックデザイナー、美術家である。ロシア・アヴァンギャルド(ロシア構成主義)を代表する1人。日本では、グスタフ・クルーチス(クルチス)と表記されることもある。
人物・来歴
1895年(1885年[1])、ラトビアに生まれる。ヴフテマス(Vkhutemas, ВХУТЕМАС、国立高等美術工芸工房)等で絵画を学ぶ。のちに、ヴフテマスでグラフィックなどを教え、インフク(Inkhuk、Инхук, 芸術文化研究所)やレフ(Lef / Left Front, ЛЕФ / Левый фронт、芸術左翼戦線)にも所属する。
フォトモンタージュを駆使した、ポスター、雑誌表紙等のグラフィック作品に長ける。スターリンをあしらったような、プロパガンダのポスターも多く手がけた。立体作品も制作した。
妻のヴァレンティナ・クラギーナ(Valentina Nikiforovna Kulagina, Валентина Никифоровна Кулагина, 1902年 - 1987年)も美術家であり、夫婦でのコラボレーションによる作品制作も行った。
カジミール・マレーヴィチ、ナウム・ガボ、ペヴスナーらとも接点があった。
逮捕・処刑により死を迎えた。1944年(1938年説[1])に死去した。満48-49歳没(満58-59歳没、満42-43歳没[1])。
作品
日本における展覧会
クルーツィスを中心に取り上げた展覧会は、日本では今まで開催されたことがない。
脚注
参考文献
日本語でまとまった文献はない。外国語ならば、例えば、次の文献がある。
- Gustav Klucis, Retrospektive, Museum Fridericianum Kassel, 1991, Verlag Gert Hatje, ISBN 3-7757-0327-6, herausgegeben von Hubertus Gaßer, Roland Nachtigäller(独語)
関連項目
- 芸術と革命展
固有名詞の分類
美術家 |
マン・レイ アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック グスタフ・クルーツィス モーリス・ド・ヴラマンク モーリス・ユトリロ |
写真家 |
イルジ・ルージェク マン・レイ グスタフ・クルーツィス ロバート・キャパ ショーン・エリス |
ロシアの写真家 |
ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン セルゲイ・プロクジン=ゴルスキー グスタフ・クルーツィス アレクセイ・ブロドヴィッチ グリゴリー・ガリツィン |
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