クーツ・リンジーとは? わかりやすく解説

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クーツ・リンジー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/11 23:30 UTC 版)

クーツ・リンジー
Sir Coutts Lindsay
2nd Baronet
Joseph Middleton Jopling作の「ヴァニティ・フェア」に掲載されたリンジーのカリカチュア
生誕 (1824-02-02) 1824年2月2日
死没 1913年5月7日(1913-05-07)(89歳没)
ロンドン
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クーツ・リンジー作の版画「樫の木」(c.1850)、Getty Center蔵

第2代準男爵サークーツ・リンジー: Sir Coutts Lindsay, 2nd Baronet1824年2月2日 - 1913年5月7日)は、イギリスの画家。水彩画などで知られている。

略歴

陸軍中将ジェームズ・リンジー(James Lindsay)とその妻アンの息子に生まれる[1][2][3]。父ジェームズは、第5代バルカレス伯爵ジェームズ・リンジーを祖父に持ち、スコットランド貴族バルカレス伯爵家)の流れを汲む[1][2]。母アンは、銀行家の初代準男爵サー・クーツ・トロッター(Sir Coutts Trotter, 1st Baronet)の長女にあたる[2]。弟に初代ウォンテイジ男爵ロバート・ロイド=リンジー英語版(軍人、農学者、慈善家)がいる[2]

青年期のクーツは、芸術に興味を持ち、特にフレスコ画を試みたという[3]。14歳のときに従兄弟のリンジー卿アレクサンダー・リンジー英語版(のち第25代クロフォード伯爵)とイタリアを旅行した[3]

1839年、母方の祖父から準男爵位を継承した[2][4]。その後、陸軍に入隊しクリミア戦争では連隊を指揮したが、戦後退役して美術に専念した[4]

1854年、ローマで女優アデレード・サートリス夫人英語版の引き立てで、イギリスの画家たちのサークルに参加し、フレデリック・レイトンジョージ・ヘミング・メイソンエドワード・ポインターと出会った[3]

1862年から1875年頃にかけて、肖像画や抽象画を発表した[3][4]。この頃のクーツは展覧会に出展したものの落選することもしばしばで、ロイヤル・アカデミーに不満を募らせたクーツはプライベート・ギャラリーを設立することを模索した。クーツは12万ポンドを費やして、1877年にニュー・ボンド街英語版に「グロブナー・ギャラリー(Grosvenor Gallery)」を設立した[1][3][4]

このギャラリーは成功を収め、ラファエル前派耽美主義の絵画を多く展示した。1873年以来展覧会に出展していなかったエドワード・バーン=ジョーンズも、『ヴィーナスの鏡』や『マーリンの誘惑』を出展したため、反響を呼んだ[3]。またジェームズ・マクニール・ホイッスラーも『黒と金色のノクターン-落下する花火』を出展した(評論家ジョン・ラスキンがこの作品を酷評したことから、後日、名誉毀損訴訟が起きた[3]。)

私生活の面では、1864年に芸術家カロライン・フィッツロイ(Caroline Blanche Elizabeth Fitzroy、1844年-1912年、資産家ヘンリー・フィッツロイ英語版の娘、母方の祖父は富豪のネイサン・メイアー・ロスチャイルド)と結婚した[4][5]。しかしクーツとカロラインは1882年には破局を迎え、カロラインの財産を資金源としていたギャラリーの経営にも陰りが見えてくる[3]

美術評論家のジョセフ・コミンズ・カー(J. Comyns Carr)や画家チャールズ・エドワード・ハレは当初、グロブナー・ギャラリーの経営に協力していたが、1887年に手を引き、バーン=ジョーンズら有力画家を引き抜いて「ニュー・ギャラリー(New Gallery)」を新たに旗揚げした[1][3]。こうしてグロブナー・ギャラリーは衰退した。ギャラリーは1890年に閉鎖され、クーツも芸術家から引退した[3]

1912年、ケイト・メイドリー(Kate Harriet Madley、ウィリアム・バーフィールドの娘)と再婚した[4]

1913年にロンドンキングストンで亡くなった。クーツの死により、準男爵位は廃絶した[1][4]

脚注

  1. ^ a b c d e “Sir Coutts Lindsay”. The Times: p. 9. (9 May 1913). https://link.gale.com/apps/doc/CS151322793/TTDA?u=rtl_ttda&sid=TTDA&xid=b8c3818f 
  2. ^ a b c d e Stearn, Roger T. (23 September 2004) [2004]. "Lindsay, Robert James Loyd-, Baron Wantage". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/34544 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ a b c d e f g h i j k Oxford University Press.. “Lindsay, Sir Coutts, Bart” (英語). ベネジット芸術事典英語版. (Online ed). 2025年2月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g  この記事にはパブリックドメインである次の文書本文が含まれる:  Chisholm, Hugh, ed. (1922). "Lindsay, Sir Coutts". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 31 (12th ed.). London & New York: The Encyclopædia Britannica Company. p. 770.
  5. ^ Author: Lady Caroline Blanche Elizabeth Lindsay (1845–1912)”. At the Circulating Library: a database of Victorian fiction, 1837-1901. 2025年2月7日閲覧。

参考文献

  • Walkley, Giles, Artists' houses in London 1764–1914, Aldershot, 1994
  • Casteras, Susan P., Colleen Denney, The Grosvenor Gallery: a Palace of Art in Victorian England, New Haven, 1996 The Annual Register 1913, p. 95
  • Dictionary of National Biography, Oxford, on-line edition (accessed 2004).
イギリスの準男爵
先代
クーツ・トロッター
(ウェストヴィルの)
準男爵英語版

1837–1913
廃絶



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