クルンクン王国の滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 08:55 UTC 版)
「オランダのバリ島侵攻 (1908年)」の記事における「クルンクン王国の滅亡」の解説
1908年4月18日、クルンクン王国王であるデワ・アグン(英語版)のジャンベ王(ラージャ)は予言に従って白い服を着用し、伝統的な短剣クリスで武装し、敵であるオランダ軍に大破壊をもたらすと謳い、200人の突撃隊とともに絶望的な戦いをした。しかし予言は実現されることなく、ラージャはオランダ軍に射殺された。すると、王の6人の王妃は短剣クリスでププタン(集団自決)を行い、それに続いて死の儀式に参列していた他の臣下たちも集団自決した。 オランダ軍は宮殿を焼き払い、こうしてクルンクン王国は滅亡し、現地の統治はバンリのラージャに委託された。
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