クリシュナ・ラージャ1世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/17 19:43 UTC 版)
クリシュナ・ラージャ1世 Krishna Raja I |
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マイソール王 | |
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クリシュナ・ラージャ1世
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在位 | 1714年 - 1732年 |
戴冠 | 1714年3月3日 |
別号 | ラージャ |
出生 | 1702年3月18日 |
死去 | 1732年3月5日 シュリーランガパトナ |
子女 | チャーマ・ラージャ7世(養子) クリシュナ・ラージャ2世(養子) |
王朝 | オデヤ朝 |
父親 | ナラサー・ラージャ2世 |
宗教 | ヒンドゥー教 |
クリシュナ・ラージャ1世(Krishna Raja I, 1702年3月18日 - 1732年3月5日)は、南インドのカルナータカ地方、マイソール王国の君主(在位:1714年 - 1732年)。ドッダ・クリシュナ・ラージャ(Dodda Krishana Raja)とも呼ばれる。
生涯
1714年2月18日、父王ナラサー・ラージャ2世が死亡し、息子であるクリシュナ・ラージャ1世が王位を継承した[1]。
その治世、南インドはムガル帝国の主権から離れ、マイソール王国をはじめ、カルナータカ太守やタンジャーヴール・マラーター王国、ケラディ・ナーヤカ朝、その他ナワーブの政権などが割拠する新しい地図が出来上がっていた。
1724年、カルナータカ太守をはじめとするナワーブの軍勢が王国の首都シュリーランガパッタナを包囲した[2]。この包囲を解くため、マイソール側は1000万ルピーを払わなければならなかった[3]。
1732年3月5日、クリシュナ・ラージャ1世はこのような情勢の中で死亡し、養子としていた一族のチャーマ・ラージャ7世が王位を継承した[4]。
脚注
参考文献
- 辛島昇 『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』 山川出版社、2007年。
- Rice, Lewis (1897a), Mysore: A Gazetteer Compiled for the Government, Volume I, Mysore In General, Westminster: Archibald Constable and Company. Pp. xix, 834
関連項目
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