クリシュナ・ラーオ
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クリシュナ・ラーオ(Krishna Rao, 1734年 - 1761年1月14日)は、インドのデカン地方、マラーター王国の宰相バージー・ラーオの息子。同国宰相バーラージー・バージー・ラーオの弟でもある。ナワーブ・シャムシェール・バハードゥル(Nawab Shamsher Bahadur)とも呼ばれる。
生涯
1734年、マラーター王国宰相バージー・ラーオとその妃マスターニーの息子として生まれた[1]。母はブンデールカンドの領主チャトラサールの娘でもあった。
1761年1月14日、第三次パーニーパットの戦いでほかの武将とともに戦死した[1]。
出典・脚注
関連項目
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