ギジェルモ・フェルナンデス・バラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/05 15:11 UTC 版)
ギジェルモ・フェルナンデス・バラ
スペイン語: Guillermo Fernández Vara
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生年月日 | 1958年10月6日 |
出生地 | ![]() |
没年月日 | 2025年10月5日(66歳没) |
出身校 | コルドバ大学 エストレマドゥーラ大学 |
前職 | 法医学者 |
所属政党 | スペイン社会労働党(PSOE) |
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在任期間 | 2003年5月25日 - 現職 |
在任期間 | 2007年6月29日 - 2011年7月4日 |
在任期間 | 2015年7月7日 - 2023年7月17日 |
ギジェルモ・フェルナンデス・バラ(Guillermo Fernández Vara, 1958年10月6日 - 2025年10月5日)は、スペイン・バダホス県オリベンサ出身の政治家。スペイン社会労働党(PSOE)所属。エストレマドゥーラ州首相を2期(2007年-2011年[1]、2015年-2023年)務めた。
経歴
1958年10月6日にエストレマドゥーラ地方のバダホス県オリベンサに生まれた[2]。コルドバ大学で医学を学び、1983年に医学と外科学の学士号を取得した。1986年から1987年にはバレンシア大学で法医学の教員を務め、1988年からはエストレマドゥーラ大学でやはり法医学の教員を務めた。1989年にはエストレマドゥーラ大学で傑出した評価を得て、法医学の博士号を取得した。1988年から1990年にはエストレマドゥーラ州法医学医師協会の会長を務めた。1995年から1996年にはエストレマドゥーラ州政府で厚生大臣を務め、1996年から1999年には州政府で社会保障大臣を務めた[2]。既婚者であり、2児の父親である[2]。スペイン法医学医師協会の会長を務めている。
オリベンサの市議会議員を経て[3]、2003年にはスペイン社会労働党(PSOE)からエストレマドゥーラ州議会議員選挙に出馬して初当選した。2007年には6期24年間もエストレマドゥーラ州首相を務めたフアン・カルロス・ロドリゲス・イバーラが退任したため、フェルナンデス・バラが州首相候補として州議会議員選挙に臨み、首相指名投票を経て州首相に就任した。2011年の州議会議員選挙で社会労働党は第2党に転落し、国民党(PP)のホセ・アントニオ・モナゴがフェルナンデス・バラの後任の州首相に就任した。2015年の州議会議員選挙では社会労働党が再び第1党となり、フェルナンデス・バラが州首相に返り咲いた。2023年7月17日に退任。
その後は国の上院議員となり、上院第二副議長を務めたが、2023年12月に胃癌に罹患したと公表。2025年10月5日、誕生日の前日に胃癌で亡くなった。66歳没[3]。
脚注
- ^ “El coche de Guillermo Fernández Vara, sin castigo a pesar de ser cazado a 170 km/h”. エル・ムンド (2010年5月27日). 2019年11月3日閲覧。
- ^ a b c “Guillermo Fernández Vara, un médico forense de sobresaliente”. エル・パイス (2006年9月19日). 2019年11月3日閲覧。
- ^ a b Viejo, Manuel (2025年10月5日). “Muere Guillermo Fernández Vara, expresidente socialista de la Junta de Extremadura” (スペイン語). El País. 2025年10月5日閲覧。
出典
- ギジェルモ・フェルナンデス・バラのページへのリンク