キャサリーン・オシェア夫人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 00:57 UTC 版)
「チャールズ・スチュワート・パーネル」の記事における「キャサリーン・オシェア夫人」の解説
ダブリンのカトリック教会に眠るパーネルの墓。隣にはアイルランド独立時の指導者達エイモン・デ・ヴァレラ、マイケル・コリンズ、ダニエル・オコンネルが眠る。 この頃になるとパーネルは、アイルランドにおける英雄、“王冠なき国王”とも言われるようになっていた。しかし凋落は突然やってきた。パーネルは長年同僚の議員ウィリー・オシェアの妻であるキャサリーン・オシェアと共に暮らしており、彼女との間には3人もの子供さえいた。キャサリーンとウィリーは財産問題のもつれから正式に離婚していなかったため、パーネルの政敵は彼女をキティー(売春婦の意)・オシェアと呼び、パーネルの辞任を要求した。パーネルが彼女と事実上結婚していることは議員の間では広く知られていたが、問題が高まるにつれ、それまで盟友の関係にあったグラッドストンもパーネルがアイルランド議会党の党首にいる間はその支援を行わないと声明することになった。 パーネルは辞任を拒否、党の会合において「誰がこの党の党首であるのか」と支持を呼びかけた。それに対しヒーリーからは「それではこの党の情婦は誰か」との声が挙がった。党は2つに分裂し、アイルランドの改革も一時的に後退することになった。
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