キエヴランの戦い (1793年)とは? わかりやすく解説

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キエヴランの戦い (1793年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/12 15:10 UTC 版)

キエヴランの戦い
戦争フランス革命戦争
年月日1793年5月1日
場所オーストリア領ネーデルラントキエヴラン英語版
結果:対仏大同盟の勝利
交戦勢力
フランス第一共和政 ハプスブルク帝国
指導者・指揮官
オーギュスト・マリー・アンリ・ピコー・ド・ダンピエール英語版
アルマン=ルイ・ド・ゴントー・ビロン英語版
フランス革命戦争
オーギュスト・マリー・アンリ・ピコー・ド・ダンピエール英語版

キエヴランの戦い(キエヴランのたたかい、フランス語: Bataille de Quiévrain)はフランス革命戦争中の1793年5月1日オーストリア領ネーデルラントキエヴラン英語版で行われた戦闘。

背景

シャルル・フランソワ・デュムーリエ英語版ネーデルラント連邦共和国に侵攻していたとき、オラニエ=ナッサウ公子ウィレム・フレデリックフリードリヒ・ヨシアス・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルトなどの軍部とともにフランクフルト・アム・マインで対仏作戦を討議していた。1793年3月2日、ウィレム・フレデリックはデン・ハーグに戻ってオランダ軍を指揮、彼の弟ヘオルヘ・フレデリック英語版ホルクム近くで軍を集結させた。デュムーリエがオランダに残したフランス軍は脅威を感じてブレダヘールトラウデンベルフ英語版に撤退したが、やがて降伏を余儀なくされ、両要塞をウィレム・フレデリックに引き渡した。

コーブルク公、ウィレム・フレデリック、イギリスのヨーク・オールバニ公フレデリック第一次対仏大同盟軍の首脳部はアントウェルペンで参謀会議を開き、戦場をフランスに移すこと、国境地帯の要塞の包囲、ヨーク公がダンケルクを包囲して領有することを決定した。

両軍の情勢

オーストリア領ネーデルラントライン川流域にいた同盟軍はコーブルク公率いるオーストリア軍5万とヘッセン兵8千、ウィレム・フレデリック率いるオランダ軍1万5千、ヨーク公率いるイギリスとハノーファー兵2万5千、ホーエンローエ=インゲルフィンゲン侯率いる、ルクセンブルクナミュールなどの要塞の駐留軍である神聖ローマ帝国軍1万5千、ブラウンシュヴァイク公率いる、ライン川流域を行軍していたプロイセン、オーストリア、ザクセン、バイエルン、フランス亡命軍の混成軍8万人だった。

同盟軍はウィーンから送られた大砲180門、オランダの大砲100門、さらに臼砲93門を有しており、要塞への砲撃の用意を整えた。

戦闘

オランダ軍とイギリス軍が到着すると、同盟軍はフランス国境線を越えてコンデを包囲した。同盟軍は伝統的な戦術を使い、(要塞を無視して一点突破でパリに進軍するのではなく)軍を分散させて要塞を包囲、砲撃した。

フランス軍は後にこの新しい戦術で勝利を収めることとなる。デュムーリエの後を継いだオーギュスト・マリー・アンリ・ピコー・ド・ダンピエール英語版将軍は自軍の多くをファマール英語版の平原に集中させ、残りをヴァランシエンヌを見下ろせるアンザン英語版の山上に配置した。ダンピエールはこれらの大軍で同盟軍を撃破してコンデの包囲を解こうとした。1793年5月1日、フランス軍は出撃してキエヴラン英語版に軍営を構えていた同盟軍を攻撃、激しい戦闘になったが多大な損害を出して撃退された。フランソワ・セバスチャン・シャルル・ジョゼフ・ド・クロワ英語版が代わってアンザンの陣地を奪取して自軍の陣地とした。

参考文献

  • Jean Hérard Janssens, Histoire des Pays-Bas, Bruxelles, Riga, 1840, p. 285.



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