ガレリア・ウァレリアとは? わかりやすく解説

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ガレリア・ウァレリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/26 05:01 UTC 版)

ガレリア・ウァレリア
Galeria Valeria
ガレリア・ウァレリアが描かれたフォリス
在位 305年 – 311年

全名 ガレリア・ウァレリア
Galeria Valeria
ガレリア・ウァレリア・アウグスタ(即位後)
Galeria Valeria Augusta
称号 ローマ皇后
出生 不明
死去 315年
配偶者 ガレリウス
子女 カンディディアヌス英語版(養子)
父親 ディオクレティアヌス
母親 プリスカ英語版
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ガレリア・ウァレリアラテン語: Galeria Valeria、生年不明 - 315年)は、ローマ皇帝ガレリウス皇后。父親は同じくローマ皇帝のディオクレティアヌスであり、ガレリウスがディオクレティアヌスの副帝となった際に結婚した。

経歴

ウァレリアはローマ皇帝・ディオクレティアヌスと皇妃プリスカ英語版の娘だが、生年についてははっきりしない。ディオクレティアヌスがローマ帝国四分統治制を導入し、将軍ガレリウス東方副帝に任じた293年、ウァレリアはガレリウスと結婚した[1]。なお、この結婚は両帝の絆を深めるための政略結婚であると考えられている。「ウァレリア」の名は、父ディオクレティアヌスの氏族名英語版である「ウァレリウス」に由来するが、「ガレリア」の名も、母プリスカの氏族名と推測されている「ガレリア」に基づくとする説がある。これが正しいとすると、ディオクレティアヌスが後継者にガレリウスを指名したのは、彼がプリスカの親戚にあたるからである[2]

305年、ディオクレティアヌスの退位に伴って、ガレリウスは東方正帝に即位し、ウァレリアはローマ皇后となった。308年11月、ウァレリアは「アウグスタ英語版」および「陣営の母」(ラテン語: Mater Castrorum)の称号を贈られた。ガレリウスとの間に子供はいなかったため、ガレリウスの妾との子であるカンディディアヌス英語版を、2人の養子として迎え入れた。皇帝在位中、ガレリウスは上パンノニア属州英語版を治水や森林伐採によって開拓し、名称を彼女に因む「ウァレリア」に改称している[3][1]

311年にガレリウスが亡くなると、ウァレリアと母・プリスカの世話は彼の側近であった東方正帝のリキニウスが見ることになった。しかし、ほどなくして2人はリキニウスの元から逃げ、ガレリウスの甥であるマクシミヌス・ダイアに身を寄せるようになった。だが、マクシミヌスから求婚されたウァレリアは、その申し出を断ったために怒りを買い、シリア属州に幽閉されて財産を没収された。リキニウスとの権力闘争に敗れてマクシミヌスが死去すると、リキニウスはウァレリア、プリスカ両名に対して死刑を命じたため、2人はテッサロニキで1年間の逃亡生活を送っている。315年、リキニウスの兵士によって捕らえられた2人は、広場で首を刎ねられ、身体は海に投げ捨てられた[1][4]

ウァレリアは、ガレリウスによるキリスト教への迫害を快く思っておらず、キリスト教徒に同情的であったとされる。そのため、ウァレリアは母のプリスカとともに聖人英語版に列せられている。

脚注

  1. ^ a b c Jones, Martindale & Morris, p. 937.
  2. ^ Wickert, Lothar (September 26, 2016). “Neue Forschungen zum römischen Principat [New Research on the Roman Principate]”. In Temporini, Hildegard (ドイツ語). Politische Geschichte (Allgemeines) [Political History (General)]. 1 (eBook ed.). De Gruyter. pp. 59. ISBN 9783110833133. https://books.google.com/books?id=84WoDwAAQBAJ 2024年10月4日閲覧。 
  3. ^ Gibbon, Edward. The Decline and Fall of the Roman Empire, vol. 1, p. 461.
  4. ^ Monumenta Graeca et Romana: Mutilation and transformation : damnatio memoriae and Roman imperial portraiture. BRILL. (1 January 2004). pp. 221–. ISBN 90-04-13577-4. https://books.google.com/books?id=5IpPhTqnDJkC&pg=PA221 

参考文献

王室の称号
先代
プリスカ英語版
ディオクレティアヌス妃)
ローマ皇后
305年–311年
共同統治者 フラウィア・マクシミアナ・テオドラ (305年–306年)
ウァレリア・マクシミラ英語版 (306年–311年)
ファウスタ (307年–311年)
次代
ファウスタ
先代
エウトロピア英語版
マクシミアヌス妃)



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