カール・フォン・リヒテンシュタイン (1803-1871)
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カール・ボロメウス・ヨハン・ネポムク・アントン・フォン・ウント・ツー・リヒテンシュタイン(Karl Borromäus Johann Nepomuk Anton Prinz von und zu Liechtenstein, 1803年6月15日 - 1871年10月12日)は、ドイツ=ボヘミア系の諸侯リヒテンシュタイン家の公子。リヒテンシュタイン侯ヨハン1世ヨーゼフの三男。1806年から1813年までの7年間、非常に幼かったにもかかわらず、ライン同盟傘下のリヒテンシュタイン公国の摂政とされていた。
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