カール・ピーター・ヘンリク・ダムとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カール・ピーター・ヘンリク・ダムの意味・解説 

カール・ピーター・ヘンリク・ダム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 13:28 UTC 版)

Carl Peter Henrik Dam
カール・ピーター・ヘンリク・ダム
生誕 (1895-02-21) 1895年2月21日
 デンマーク コペンハーゲン
死没 1976年4月17日(1976-04-17)(81歳)
 デンマーク コペンハーゲン
国籍  デンマーク
研究機関 ロックフェラー研究所
出身校  
主な受賞歴 ノーベル生理学・医学賞(1943)
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者
受賞年:1943年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:ビタミンKの発見

カール・ピーター・ヘンリク・ダム(Carl Peter Henrik Dam、1895年2月21日 - 1976年4月17日)はデンマーク生化学者生理学者。彼はビタミンKの発見と人体におけるその働きの解明によりエドワード・アダルバート・ドイジーとともに1943年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

来歴

コペンハーゲン出身。1920年にコペンハーゲン工科大学を卒業。グラーツ大学フリッツ・プレーグルの下で化学を学び、1925年卒業。1929年にコペンハーゲン大学準教授に就任した。渡米して1942年から1945年までロックフェラー医学研究所で研究に従事し、1946年からデンマーク工科大学の生化学科教授を務めた。

彼は、ニワトリにコレステロールを全く含まない食事を与える実験を行ってビタミンKの機能を解明した。ニワトリは数週間経つと出血が制御できないようになった。ダムは血液を凝固させるのに必要な成分を単離し、凝固ビタミンと呼んだ。このビタミンは、凝固を意味するドイツ語Koagulationsの頭文字を取ってビタミンKと呼ばれるようになった。

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カール・ピーター・ヘンリク・ダム」の関連用語

カール・ピーター・ヘンリク・ダムのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カール・ピーター・ヘンリク・ダムのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカール・ピーター・ヘンリク・ダム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS