オットー・コンラード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/29 16:44 UTC 版)
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Otto Konrad | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1964年11月1日(56歳) | |||||
出身地 | グラーツ | |||||
身長 | 187cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
代表歴 | ||||||
1989-1995 | ![]() |
12 (0) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
オットー・コンラード(Otto Konrad、1964年11月1日 - )はオーストリア出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
経歴
長年オーストリアとスペインで活躍した国際レベルのGK。16歳まではFWとGKの両ポジションでプレーしたコンラードは、19歳の頃SKシュトゥルム・グラーツのGKとしてオーストリア・ブンデスリーガでのデビューを果たす。1991年には同リーグのSVアウストリア・ザルツブルクへ移籍。同チームの主力選手としてリーグ優勝2回、UEFAカップ準優勝、そしてUEFAチャンピオンズリーグ本大会出場に貢献する。特にUEFAカップでは準々決勝や準決勝でスーパープレーを連発、PK戦でも決定的なPKを2本止め、決勝進出の立役者となる。
1994年と1995年にはオーストリア年間最優秀選手に選出され、1997年にはスペイン・プリメーラ・ディビシオンのレアル・サラゴサへ移籍。その後はオーストリア2部、3部、4部、5部のチームでプレー。2006年まで現役を続けた。 国際レベルの実力をクラブでは幾度も証明しながらも、オーストリア代表チームではGKのポジションのライバルが多かったため、A代表には定着しなかった。しかし1990年代のSVアウストリア・ザルツブルクの黄金時代を代表する選手である。
引退後は2006年から2011年までオーストリアU-21代表のGKコーチを務めた。2013年以降はザルツブルクを拠点に政治家として活動している。
所属クラブ
- 1981-1992
SKシュトゥルム・グラーツ
- 1992-1996
SVアウストリア・ザルツブルク
- 1997-1998
レアル・サラゴサ
- 2000-2001
グラーツァーAK
- 2001-2002
DSVレオーベン
- 2002-2003
PSV SW ザルツブルク
獲得したタイトル
- UEFAカップ準優勝1回 (1994)
- オーストリア・ブンデスリーガ優勝3回 (1994,1995,1997)
- オーストリア・スーパーカップ優勝2回 (1994,1995)
指導歴
- 2005年 - 2006年 オーストリア代表 GKコーチ
- 2006年 - 2011年 U-21オーストリア代表 GKコーチ
固有名詞の分類
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