エーベルスヴァルデとは? わかりやすく解説

エーベルスワルデ【Eberswalde】

読み方:えーべるすわるで

エバースワルデ


エーベルスヴァルデ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 17:19 UTC 版)

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紋章 地図
基本情報
連邦州: ブランデンブルク州
郡: バルニム郡
標高: 海抜 25 m
面積: 58.2 km²
人口:

40,699人(2019年12月31日現在) [1]

人口密度: 699 人/km²
郵便番号: 16202–16230
市外局番: 03334
ナンバープレート: BAR (かつては EW)
自治体コード: 12 0 60 052
街区数: 7 地区
ウェブサイト: eberswalde.de
行政
市長: フリートヘルム・ボギンスキ (Friedhelm Boginski) (FDP)
多数派政党: SPD
市庁舎
マリア・マクダレナ教会
市政750年祭(2004年)

エーベルスヴァルデEberswalde)はドイツ連邦共和国ブランデンブルク州に属する都市。バルニム郡の郡庁所在地である。人口は約41,000人。

地勢・産業

しばしば、この街は広大な森を有していることから、ヴァルトシュタットWaldstadt、「森の街」)とも称される。ただし、19世紀より工業都市として発展しており、自然と工業の調和が課題となっている。街をフィノー運河が走るが、現在その重要性は低下している。近隣の都市としては、約45キロ南西にベルリン、75キロ南東にフランクフルト (オーダー)が位置している。約20キロほど東にポーランド国境がある。

歴史

1254年に街が建てられ、14世紀初頭には都市特権を得て市壁が設けられた。エーベルスヴァルデが、シュテティーンとフランクフルト (オーダー)を結ぶ交易路の途中に位置していたことは、この街の発展に大きく貢献した。1499年に大火事によって街が焼失したが再建された。17世紀の三十年戦争では、カトリック側の傭兵隊長ヴァレンシュタインや、スウェーデンのグスタフ・アドルフがこの地に留まった。のちにリュッツェンの戦いで命を落としたグスタフ・アドルフは、この街のマリア・マクダレナ教会でその遺体を防腐加工された。街は三十年戦争を通じて多大な打撃を被ったが、それから徐々に人口を回復させた。18世紀半ば、テューリンゲンから鍛冶・冶金技術を有した人々がこの地に移住したため、これらの産業が発展した。19世紀半ばより工業化が進み、工場が設けられるとともに鉄道網の整備が進んだ。1842年にはベルリン、翌年にはシュテティーン(現ポーランド)との路線が開通した。第二次世界大戦後、ソ連による占領(ソ連占領地域)を経て東ドイツ領となった。1990年のドイツ統一は、エーベルスヴァルデに厳しい状況をもたらした。旧東ドイツの工業水準は西ドイツに届くものではなく、工業は停滞し失業者も急激に増加した。人口も、統一後まもなくは5万人以上いたが、現在の人口は4万人程度である。2004年、街の建設750年を祝う祭典が催された。

スポーツ

FV MOTOR Eberswaldeが、この街を本拠地とするサッカークラブである。現在、6部リーグに所属する。

姉妹都市

引用

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