エレーナ・グネーシナとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 作曲家 > ソビエト連邦の作曲家 > エレーナ・グネーシナの意味・解説 

エレーナ・グネーシナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 23:11 UTC 版)

エレーナ・ファビアノヴナ・グネーシナ
基本情報
生誕 (1874-05-18) 1874年5月18日
出身地 ロシア帝国ロストフ・ナ・ドヌ
死没 (1967-06-04) 1967年6月4日(93歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

エレーナ・ファビアノヴナ・グネーシナロシア語: Елена Фабиановна Гнесина, ラテン文字転写: Elena Fabianovna Gnessina, 1874年5月18日 - 1967年6月4日)はロシア作曲家・ピアノ教師。作曲家ミハイル・グネーシンの姉。

経歴

1874年、ロストフ・ナ・ドヌ生まれ。官僚ラビ(ロシア帝国のポジションの一つ。Crown rabbi)の家に生まれた。父はファビアナ・オシポヴィッチ・グネーシン、母はベラ・イサエヴナ・フレトズィンゲル-グネーシナである。母は歌手で、スタニスワフ・モニューシュコの学生であった。 音楽教育はロストフ・ナ・ドヌで受け始め、後にモスクワへ移った。 モスクワ音楽院ピアノ科でワシーリー・サフォーノフに師事し、1893年に卒業。この他に在学中に彼女を教えた教師として、アントン・アレンスキーセルゲイ・タネーエフがいる。

1895年2月に姉のエフゲニアとマリアと共に音楽学校を開き、これが後にグネーシン姉妹記念音楽学校とグネーシン音楽大学(グネーシン姉妹記念ロシア音楽アカデミー)となる。彼女は学校の校長、芸術監督、教授として教育に携わった。

1967年6月4日に亡くなり、墓はモスクワのノヴォジェヴィチ墓地にある。

作品としてはピアノのための練習曲や、子供向けのピアノ小品を残している。

出典

  • Мильштейн Я. И., , 1973, Гнесина Е. Ф., Музыкальная энциклопедия, Т. 1, (под ред. Ю. В. Келдыша.) , М. (ミリシュテインYa. I.1973「エフゲニア・ファビアノヴナ・グネーシナ」『音楽百科事典』巻1(ユーリ・ケルディシュ編))

脚注






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エレーナ・グネーシナ」の関連用語

エレーナ・グネーシナのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エレーナ・グネーシナのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエレーナ・グネーシナ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS