エリク12世 (スウェーデン王)とは? わかりやすく解説

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エリク12世 (スウェーデン王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 05:47 UTC 版)

エリク12世マグヌソン
Erik XII Magnusson
スウェーデン王
エリク12世のシール
在位 1356年 - 1359年(父と共治)

出生 1339年
死去 1359年6月21日
配偶者 ベアトリクス・フォン・バイエルン
家名 フォルクング家
王朝 フォルクング朝
父親 マグヌス4世
母親 ブランカ・アヴ・ナムール
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エリク12世マグヌソン(Erik XII Magnusson, 1339年 - 1359年6月21日)は、スウェーデン王。1356年から1359年まで父スウェーデン・ノルウェー王マグヌス4世(7世)と共同の王位に就いた。母はナミュール侯ジャン1世の娘ブランカ。弟はノルウェーホーコン6世

生涯

1343年、エリクはスウェーデン王位の、弟ホーコン6世はノルウェー王位の継承者にそれぞれ定められた。1355年に神聖ローマ皇帝およびバイエルン公ルートヴィヒ4世の娘ベアトリクスと結婚した[1]

弟ホーコンは1355年にノルウェー王として親政を開始し、これによりスウェーデンとノルウェーの同君連合は解消された[2]。1356年に起きたスウェーデン貴族らの反乱により、父マグヌス4世はエリクにスコーネフィンランドの大部分を支配させることを余儀なくされた。1359年にスウェーデンの共同統治が再び確立され父子は和解し、その数か月後にエリクが死去するまでスウェーデンを共同統治した。1359年6月21日にエリクは死去し、その半年後に妃ベアトリクスも死去した。両者とも黒死病で死去したと考えられているが、両親による毒殺ともいわれている[3]

1364年に父マグヌス4世が死去し、スウェーデン王位は従兄弟メクレンブルク公アルブレヒト3世が継承することとなる。

脚注

  1. ^ Louda & Maclagan 1981, p. 64.
  2. ^ 百瀬 他、p. 98
  3. ^ Erik Magnusson”. Svenskt biografiskt lexikon. 2023年1月21日閲覧。

参考文献

  • Louda, Jiří; Maclagan, Michael (1981). Lines of Succession. Little, Brown & Company 
  • 百瀬宏 他 『新版 世界各国史21 北欧史』 山川出版社、1998年
先代
マグヌス4世
スウェーデン王
1356年 - 1359年
共同統治者:マグヌス4世
次代
マグヌス4世



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