エティエンヌ・パスカル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/19 19:57 UTC 版)
Étienne Pascal
エティエンヌ・パスカル
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生誕 | 1588年5月2日![]() ピュイ=ド=ドーム県 クレルモン |
死没 | 1651年9月24日(63歳没)![]() |
職業 | 税務官、数学者 |
著名な実績 | パスカルの蝸牛形 |
配偶者 | Antoinette Begon |
子供 | 長女:ジルベルト・ペリエ 長男:ブレーズ・パスカル 次女:ジャクリーヌ・パスカル |
エティエンヌ・パスカル (仏: Étienne Pascal 1588年5月2日生 - 1651年9月24日没) はフランスの上級税務官であり、ブレーズ・パスカルの父親である。
生涯
エティエンヌ・パスカルは、フランスの財務官マルタン・パスカル(Martin Pascal)とマルグリット・パスカル・ド・モンス(Marguerite Pascal de Mons)の間にクレルモンで生まれた[1]。 彼は3人の娘をもうけたが最初の娘は生後すぐに亡くなっている[2]。
子供はジルベルト・ペリエ、ブレーズ・パスカルとジャクリーヌ・パスカルである。妻のアントワネット・ベゴンは1626年に亡くなっている[3]。
彼は法服貴族であり、税務官であり[2]、弁護士でもあった[1]。 科学と数学にも関心を持っていた[4]。オルレアンの大学で法律の教育を受けていた。1610年クレルモンに戻りクレルモン周辺のオーヴェルニュ地域圏の税務裁判所(フランス語: Cour des aides)の次長の職についた[5]。
妻の死から5年後の1631年[1]、エティエンヌは子供たちと共にパリへ移住した。彼らは家庭教師としてのルイーズ・デルフォー(Louise Delfault)を雇った。そして、彼女は一家にとって重要な役割を果たした[1]。エティエンヌは再婚せず、家庭教育を行うことを決意した[1]。
エティエンヌは、月の動きから経度を決定するというジャン=バチスト・モランの計画が実用的かどうかを判断する科学委員会(ピエール・エリゴン(英語: Pierre Hérigone)やクロード・ミドージュ(英語: Claude Mydorge)らも委員として名を連ねている)に所属した。
リマソンはエティエンヌによって初めて研究され、命名されたため、この数学的な曲線は「パスカルの蝸牛形」と呼ばれている。
1651年9月24日にエティエンヌ・パスカルはパリで亡くなった[6]。
出典
参考文献
- エティエンヌ・パスカルのページへのリンク