エティエンヌ・ド・シルエット
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| エティエンヌ・ド・シルエット | |
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| 財務総監 | |
| 任期 1759年3月4日 – 1759年11月21日 | |
| 君主 | ルイ15世 | 
| 前任者 | ジャン・ド・ブーロンジュ | 
| 後任者 | アンリ・レオナール・ジャン・バティスト・ベルタン | 
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1709年7月5日  フランス王国、リモージュ | 
| 死没 | 1767年1月20日(57歳没)  フランス王国、ブリ=シュル=マルヌ | 
エティエンヌ・ド・シルエット(仏: Étienne de Silhouette、1709年7月5日 - 1767年1月20日)は、フランス王国ブルボン朝の貴族。ルイ15世の下で財務総監(財務大臣)を務めた[1]。
略歴
フランス中部リモージュで生まれる。父アルノー・ド・シルエットはビアリッツ出身のバスク人であった。10代後半にロンドンに留学し、イギリスの経済などを学ぶ。アレキサンダー・ポープの著書を翻訳して庶民に寄贈したりしていた。
七年戦争が終わった後に財務総監に就任する。先代のルイ14世が対外戦争と浪費に明け暮れたため、フランスは深刻な財政難に陥っていた。シルエット自身には特別な財政再建策があったわけでもなく、国民には贅沢を戒めよと説くだけであり、もっぱら「無能大臣」と呼ばれていた。だが自ら節約に励み[2]、金のかからない影絵によるシンプルな肖像画を編み出した。これが後に「シルエット」と呼ばれる技法である[3]。
脚注
- ^ “Tombes Sépultures dans les Cimetières et Autres Lieux”. www.tombes-sepultures.com. 2025年10月13日閲覧。
- ^ Dodd, Philip (2009). What's in a Name?: From Joseph P. Frisbie to Roy Jacuzzi, How Everyday Items Were Named for Extraordinary People
- ^ “Silhouette Sarah | Silhouette Artist, Cutter and Entertainer”. www.silhouettecutting.co.uk. 2017年2月2日閲覧。
参考文献
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固有名詞の分類
| フランスの政治家 | モーリス・デュヴェルジェ ルイ・ド・ギランゴー エティエンヌ・ド・シルエット セシル・デュフロ ロベール・シューマン | 
| フランスの貴族 | ジャン・ポトン・ド・ザントライユ オノーレ・ミラボー エティエンヌ・ド・シルエット ジャック・ダデルスワル=フェルサン ベルナール・フォントネル | 
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