エティエンヌ・ド・シルエットとは? わかりやすく解説

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エティエンヌ・ド・シルエット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/13 08:21 UTC 版)

エティエンヌ・ド・シルエット
財務総監
任期
1759年3月4日 – 1759年11月21日
君主 ルイ15世
前任者 ジャン・ド・ブーロンジュ
後任者 アンリ・レオナール・ジャン・バティスト・ベルタン
個人情報
生誕 (1709-07-05) 1709年7月5日
フランス王国リモージュ
死没 1767年1月20日(1767-01-20)(57歳没)
フランス王国、ブリ=シュル=マルヌ

エティエンヌ・ド・シルエット: Étienne de Silhouette1709年7月5日 - 1767年1月20日)は、フランス王国ブルボン朝貴族ルイ15世の下で財務総監(財務大臣)を務めた[1]

略歴

フランス中部リモージュで生まれる。父アルノー・ド・シルエットはビアリッツ出身のバスク人であった。10代後半にロンドンに留学し、イギリスの経済などを学ぶ。アレキサンダー・ポープの著書を翻訳して庶民に寄贈したりしていた。

七年戦争が終わった後に財務総監に就任する。先代のルイ14世が対外戦争と浪費に明け暮れたため、フランスは深刻な財政難に陥っていた。シルエット自身には特別な財政再建策があったわけでもなく、国民には贅沢を戒めよと説くだけであり、もっぱら「無能大臣」と呼ばれていた。だが自ら節約に励み[2]、金のかからない影絵によるシンプルな肖像画を編み出した。これが後に「シルエット」と呼ばれる技法である[3]

脚注

  1. ^ Tombes Sépultures dans les Cimetières et Autres Lieux”. www.tombes-sepultures.com. 2025年10月13日閲覧。
  2. ^ Dodd, Philip (2009). What's in a Name?: From Joseph P. Frisbie to Roy Jacuzzi, How Everyday Items Were Named for Extraordinary People 
  3. ^ Silhouette Sarah | Silhouette Artist, Cutter and Entertainer”. www.silhouettecutting.co.uk. 2017年2月2日閲覧。

参考文献





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