エステラ・カンツィアーニとは? わかりやすく解説

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エステラ・カンツィアーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 02:07 UTC 版)

エステラ・ルイーザ・ミカエラ・カンツィアーニ(Estella Louisa Michaela Canziani、1887年1月12日 - 1964年8月23日)は、イギリス出身の風景画家装飾家旅行作家、および民俗学者[1]

生涯

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ロンドンに生まれたエステラ・カンツィアーニは画家ルイーザ・スタールとイタリア出身の土木技師エンリコ・カンツィアーニ(1848年 - 1931年)の娘である。ケンジントン宮殿内にあるケンジントン宮殿街英語版にある生家で生涯を過ごした。

始めにアーサー・コープ卿アースキン・ニコルが運営するケンジントンの学校「コペルニクス」で、その後はロイヤル・アカデミー・スクールで学びながら画家としての訓練を積んだ。ロンドンの王立芸術院、リヴァプールミラノベネチア、フランスで作品を出品した。その中でも1915年に王立芸術院において展示された『夢の管楽器奏者(The Piper of Dreams)』と題された水彩画が最も有名な作品といえよう。この作品の複製画はラファエル前派の画家ウィリアム・ホルマン・ハントの『世界の灯火英語版』に匹敵する人気を誇ったと言われる。

彼女はヨーロッパ全域、特にイタリアを旅して回った。彼女の絵画には北イタリアの人里離れた村で過ごす地元の人々の衣服や生活様式が詳細に記録されている。また本のイラストレーターとしても活躍した。

彼女は『Costumes, Traditions and Songs of Savoy』(1911年)、『Piedmont』(1913年)、『Through the apenines and the Lands of the Abruzzi』(1928年)の計3冊の紀行本を発表しており、この著作がきっかけとなって王立地理学会の会員となった。また『Round About Three Palace Green』(1939年)と題された自叙伝も発表している。

作品の殆どはバーミンガム美術館で保護されている。

カンツィアーニは友会徒であると同時に、英国王立芸術家協会美術工芸展協会英語版テンペラ画家協会英語版英国王立鳥類保護協会英語版英国動物愛護協会英語版、および英国伝承協会の会員でもあった。

脚注

  1. ^ Grant M. Waters (1975). Dictionary of British Artists Working 1900-1950. Eastbourne Fine Art 
  • Glenn Hooper, Tim Youngs, Perspectives on Travel Writing, Ashgate Publishing, Ltd., 2004

ISBN 0-7546-0366-0, ISBN 978-0-7546-0366-5

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