イングヴィレール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/26 06:01 UTC 版)
Ingwiller | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | アルザス地域圏 |
県 (département) | バ=ラン県 |
郡 (arrondissement) | サヴェルヌ郡 |
小郡 (canton) | ブクスヴィレール小郡 |
INSEEコード | 67222 |
郵便番号 | 67340 |
市長(任期) | ユーグ・ダンネル (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du pays de Hanau |
人口動態 | |
人口 | 4 110人 (2008年) |
人口密度 | 228人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯48度52分25秒 東経7度28分40秒 / 北緯48.8736度 東経7.4778度座標: 北緯48度52分25秒 東経7度28分40秒 / 北緯48.8736度 東経7.4778度 |
標高 | 平均:? m 最低:185 m 最高:371 m |
面積 | 18.05km2 (1 805ha) |
公式サイト | Site officiel de la commune d'Ingwiller |
イングヴィレール (Ingwiller、ドイツ語:Ingweiler)は、フランス、アルザス地域圏、バ=ラン県のコミューン。
歴史
地名について最古に記されたのは742年、Ingoniunilareとしてである[1]。785年にはIlununilare、1175年にはIngichwilre、1178年のローマ教皇アレクサンデル3世の教書においてはIngevilreと記された.[2]。
ジモン・フォン・リヒテンベルクの願いを聞き入れた神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世は1345年にイングヴィレールの村を町に昇格させ、アグノーの町と同様の権利と自由を住民に与えた。したがって、壁や溝、柵でまちを覆えるようになり、金曜日に毎週市が開かれるようになった[3]。
イングヴィレールはプロテスタントのまちで、1570年まではイングヴィレール教区となっていた。
1822年、かつての領主ハーナウ=リヒテンベルク家が所有していた古い城の跡地にシナゴーグが建てられた。
普仏戦争終結後、イングヴィレールの166人の住民がフランクフルト講和条約後もフランス国民であることを選んだ。
人口統計
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2008年 |
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3074 | 3257 | 3674 | 3900 | 3753 | 3847 | 3988 | 4110 |
脚注
- ^ Krauss, Kunst und Altertum im Elsass, Straßburg 1876–92
- ^ Karl Letz, Geschichte der Stadt Ingweiler, Zabern 1896
- ^ Strobel und Engelmann: Vaterländische Geschichte des Elsaß, Straßburg 1840–49
- ^ Ingwiller sur le site de l'Insee
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