イブラーヒーム・シャーとは? わかりやすく解説

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イブラーヒーム・シャー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/19 11:00 UTC 版)

イブラーヒーム・シャー
スール朝第5代君主
在位 1555年

死去 1567/8年
配偶者 ムハンマド・アーディル・シャーの姉妹
王朝 スール朝
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イブラーヒーム・シャー(Ibrahim Shah, 生年不詳 - 1567/8年)は、北インドスール朝の第5代君主(在位:1555年)。

生涯

イブラーヒーム・シャーはアーグラを統治していた。彼はまた、スール朝の君主イスラーム・シャーの娘婿であった。

1554年末、イスラーム・シャーが没し、息子フィールーズ・シャーが王位を継承したが、一カ月足らずでムハンマド・アーディル・シャーによって殺害された[1]

1555年、ムハンマド・アーディル・シャーの姉妹の夫であるイブラーヒーム・シャーは反乱を起こし、ムハンマド・アーディル・シャーの軍を破り、デリーを占拠した。だが、イブラーヒーム・シャーはシカンダル・シャーの軍勢にアーグラ付近で敗れ、彼もまたデリーを追われた[2]

一方、東部へと追われたアーディル・シャーはその地を領土としていたが、デリーを追われてきたイブラーヒーム・シャーはその地に侵入した。だが、イブラーヒーム・シャーはヘームーによって、カールピーカーンワーで二度にわたって破られ、バヤーナーの城へと逃げ込んた。

だが、ヘームーはバヤーナーの城を包囲し、イブラーヒーム・シャーは籠城を余儀なくされた。その間、ベンガルを統治していたムハンマド・ハーン・スーリーがカールピーに接近してきたため、バヤーナーを包囲していたヘームーを呼び戻したため、難を逃れた。

その後、イブラーヒーム・シャーはオリッサ方面へと逃げ、1567年から1568年の間に没したという[2]

脚注

  1. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.181
  2. ^ a b Majumdar, R.C. (ed.) (2007). The Mughul Empire, Mumbai: Bharatiya Vidya Bhavan, ISBN 978-81-7276569-9,pp.94-6

参考文献

  • サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。 ISBN 4-634-67260-X 
  • フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。 ISBN 978-4-422-21520-4 

関連項目

先代
ムハンマド・アーディル・シャー
スール朝
1555年
次代
シカンダル・シャー


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