シカンダル・シャー (スール朝)とは? わかりやすく解説

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シカンダル・シャー (スール朝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 01:41 UTC 版)

シカンダル・シャー
スール朝第6代君主
在位 1555年

死去 1559年
ベンガル
配偶者 ムハンマド・アーディル・シャーの姉妹
王朝 スール朝
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シカンダル・シャー(Sikandar Shah, 生年不詳 - 1559年)は、北インドスール朝の第6代君主(在位:1555年)。

生涯

シカンダル・シャーはラホールを統治していた[1]。彼はまた、スール朝の君主イスラーム・シャーの娘婿であった。

1554年末、イスラーム・シャーが没し、息子フィールーズ・シャーが王位を継承したが、一カ月足らずでムハンマド・アーディル・シャーによって殺害された[2]

1555年、アーディル・シャーの姉妹の夫であるイブラーヒーム・シャーは反乱を起こし、アーディル・シャーの軍を破り、デリーを占拠した。また、この年にシカンダル・シャーもラホールで独立していた。

シカンダル・シャーはデリーに向けて進軍し、イブラーヒーム・シャーの軍勢をアーグラ付近で敗り、デリーをから駆逐した[1]。かくして、彼が最終的なデリーの支配者になった。

だが、シェール・シャーによって駆逐されていたムガル帝国の皇帝フマーユーンが北インドに侵入しつつあり、同年2月にはラホールを占拠した。その後、ディラールプル、ジャーランダルが相次いで占拠された。

シカンダル・シャーはムガル軍に対して騎兵3万を送ったが、これはマッチワーラーで打ち破られてしまい、シルヒンドが占拠された。そのため、彼は騎兵8万を自ら率いて出陣し、シルヒンドで対峙した。だが、同年6月22日にシカンダル・シャーの軍勢はムガル軍に再び打ち破られ、シヴァリク丘陵に敗走した[1]。そして、7月にはムガル帝国軍はデリーを占領し、スール朝はここに滅亡した。

1556年末、シカンダル・シャーはムガル帝国軍に攻撃を仕掛け、その武将フワージャ・ヒズル・ハーンを破った。だが、摂政バイラム・ハーンは援軍を送り、同年12月7日にはバイラム・ハーン自身が皇帝アクバルをともなって出陣した。

シカンダル・シャーは再びシヴァリク丘陵に退却し、マーンコートに籠城した。その後、城を6ヶ月の間包囲されたのち、1557年7月25日に降伏した[3]。降伏後、アクバルにビハールに領土を与えられたが、短期間のうちに追い出され、1559年ベンガルで死亡した[1]

脚注

  1. ^ a b c d Majumdar, R.C. (ed.) (2007). The Mughul Empire, Mumbai: Bharatiya Vidya Bhavan, ISBN 978-81-7276569-9, pp.94-6
  2. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.181
  3. ^ Majumdar, R.C. (ed.) (2007). The Mughul Empire, Mumbai: Bharatiya Vidya Bhavan, ISBN 978-81-7276569-9,pp.106-7

参考文献

  • サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。 ISBN 4-634-67260-X 
  • フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。 ISBN 978-4-422-21520-4 

関連項目

先代
イブラーヒーム・シャー
スール朝
1555年
次代
(滅亡)



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