アールスコート系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 08:04 UTC 版)
嫡系であるクロイ=アールスコート家では、神聖ローマ皇帝カール5世の傅育係だったギヨーム2世・ド・クロイ(1458年 - 1521年)が1518年にスペインのソリア公爵位およびナポリ王国のアルキ公爵位、1519年にネーデルラントのアールスコート侯爵位を手に入れた。その甥で後継者のフィリップ2世・ド・クロイ(1496年 - 1549年)は、一族の重要な所領となるアーヴルを入手し、さらに1534年にはアールスコート公爵に陞爵した。彼はクロイ=ソルル家のシャルル1世・ド・クロイ(1455年 - 1527年)の娘アンヌ・ド・クロイを最初の妻とし、義父からシメイ侯位を相続した。フィリップ2世とアンヌ・ド・クロイとの間の孫息子で第4代アールスコート公爵シャルル3世・ド・クロイ(1560年 - 1612年)は1598年にフランスのクロイ公爵に叙せられた。シャルル3世が子供のないまま死ぬと、アールスコート公爵位は彼の妹の嫁いだアーレンベルク家に、クロイ公爵位は従弟のシャルル・アレクサンドル・ド・クロイにそれぞれ相続され、クロイ=アールスコート家は絶えた。
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