アンリ (エルブフ公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 10:26 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アンリ・ド・ギーズ=ロレーヌ Henri de Guise-Lorraine |
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エルブフ公 | |
在位 | 1692年 - 1748年 |
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出生 | 1661年8月7日![]() |
死去 | 1748年5月17日(86歳没)![]() |
配偶者 | シャルロット・ド・ロシュシュアール |
子女 | フィリップ アルマンド・シャルロット シャルル |
家名 | ギーズ家 |
父親 | エルブフ公シャルル3世 |
母親 | エリザベート・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ |
アンリ・ド・ギーズ=ロレーヌ(Henri de Guise-Lorraine, duc d'Elbeuf, 1661年8月7日 - 1748年5月17日)は、フランスの貴族、エルブフ公爵。
生涯
エルブフ公シャルル3世とその2番目の妻でテュレンヌ大元帥の姪にあたるエリザベート・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュの間の息子として生まれた。2人の兄が早世したため父の跡取りとしてリルボンヌ公(prince de Lillebonne)、エルブフ公(prince d'Elbeuf)の称号を帯びた[1]。1677年1月28日にサン=ジェルマン=アン=レーにおいて、モルトマール公爵ルイ・ヴィクトルの娘シャルロット・ド・ロシュシュアール(Charlotte de Rochechouart, 1660年 - 1729年)と結婚した。妻はモンテスパン侯爵夫人の姪であった。夫妻の間に生まれた2人の息子がいずれもスペイン継承戦争で戦死したため、エルブフ公爵家の家督は弟のエマニュエル・モーリスが継いだ。
子女
- フィリップ(1678年 - 1705年) - スペイン継承戦争で戦死
- アルマンド・シャルロット(1683年 - 1701年) - エルブフ姫(Mademoiselle d'Elboeuf)
- シャルル(1685年 - 1705年) - スペイン継承戦争で戦死
脚注
- ^ Velde, François. “The Rank/Title of Prince in France, French Heraldry and Related Topics”. Genealogics .org. 2010年3月1日閲覧。
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「アンリ (エルブフ公)」の例文・使い方・用例・文例
- ジャン・アンリ・デュナンは赤十字の生みの親であった
- アンリ・マティスは素晴らしい彩色をする画家だった。
- アンリエットは、よろめきむき出しのままポニーの上で揺らめき、銃を掲げて押し寄せているアパッチ戦士の姿を見た
- アンリ2世の愛人であったフランスの貴婦人
- かつて、アンリ・ベルクソンによって有機体の進化と発生を引き起こすと考えられていた、仮想の力(物理的でも化学的でもない)
- アンリという人
- イタリアンリアリズムという,映画における傾向
- パリで,彼はアンリ・マティスなど,さまざまな画家の影響を受けた。
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