アンブロス・シュパイザーとは? わかりやすく解説

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アンブロス・シュパイザー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/25 09:21 UTC 版)

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アンブロス・シュパイザー
(Ambrosius Paul Speiser)
生誕 1922年11月13日
バーゼル
死没 (2003-05-10) 2003年5月10日(80歳没)
アーラウ
国籍 スイス
研究分野 計算機科学
研究機関 スイス連邦工科大学チューリッヒ校
出身校 スイス連邦工科大学チューリッヒ校
博士課程
指導教員
エドゥアルド・シュティーフェル
プロジェクト:人物伝
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アンブロス・シュパイザー(Ambrosius Paul Speiser, 1922年11月13日 - 2003年5月10日)は、スイス計算機科学者

来歴

1922年11月13日に生まれ、1948年にスイス連邦工科大学チューリッヒ校通信工学の学位を取得した。

来歴

スイス連邦工科大学チューリッヒ校の応用数学研究所のエドゥアルト・シュティーフェルの下で大学院生だった1949年にコンピュータの調査のためにハインツ・ルティスハウザー (Heinz Rutishauser)と共に派遣され、ハーバード大学の会合でハワード・エイケンと面会して、プリンストン大学ジョン・フォン・ノイマンに会ってHarvard Mark IIや当時、開発中だったIASマシンの資料を入手した[1]。帰国後、1950年に彼らは応用数学研究所で独自のアーキテクチャのERMETH (Electronic Calculating Machine of the ETH)の開発に着手して1955年に1500本の真空管・6400個のダイオード・多数の継電器を使用したスイスで最初の真空管式コンピュータであるERMETHを完成させた[1][2]。同年、IBMに入社してIBMチューリッヒ研究所で勤務した。

1962年にスペイゼルは教授に就任して計算機科学の講座で教鞭をとった。

文献




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