アントン_(ザクセン王)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アントン_(ザクセン王)の意味・解説 

アントン (ザクセン王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 01:01 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アントン
Anton
ザクセン王
在位 1827年5月5日 - 1836年6月6日

全名 アントン・クレメンス・テオドール・マリア・ヨーゼフ・ヨハン・エヴァンゲリスタ・ヨハン・ネポムク・フランツ・クサヴァー・アロイス・ヤヌアール・フォン・ザクセン
出生 1755年12月27日
ザクセン選帝侯領ドレスデン
死去 (1836-06-06) 1836年6月6日(80歳没)
ザクセン王国ピルニッツ
埋葬 1836年6月9日
ザクセン王国ドレスデンカトリック宮廷教会
配偶者 マリア・カロリーナ・フォン・ザルディニエン
  マリア・テレジア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
子女 マリア・ルドヴィカ
フリードリヒ・アウグストゥス
マリア・ヨハンナ
マリア・テレジア
家名 ヴェッティン家アルブレヒト系
父親 フリードリヒ・クリスティアン
母親 マリア・アントーニア・フォン・バイエルン
テンプレートを表示

アントンAnton1755年12月27日 - 1836年6月6日)は、ザクセン王国の第2代国王(在位:1827年 - 1836年)。全名はアントン・クレメンス・テオドール・マリア・ヨーゼフ・ヨハン・エヴァンゲリスタ・ヨハン・ネポムク・フランツ・クサーヴァー・アロイス・ヤヌアール(Anton Clemens Theodor Maria Joseph Johann Evangelista Johann Nepomuk Franz Xaver Aloys Januar)で、「温厚王」(der Gütige)と呼ばれる。ザクセン選帝侯フリードリヒ・クリスティアンの四男で、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世の弟。

生涯

アントンは1755年12月27日、フリードリヒ・クリスティアンとその妃であった神聖ローマ皇帝バイエルン選帝侯カール7世の皇女マリア・アントーニア(1724年 - 1780年)の第4子としてドレスデンで生まれた。 1781年10月24日にドレスデンでサルデーニャヴィットーリオ・アメデーオ3世の王女マリーア・カロリーナ(1764年 - 1782年)と結婚したが、翌年彼女と死別した。次いで1787年10月18日ウィーンで、神聖ローマ皇帝レオポルト2世の皇女マリア・テレジア(1767年 - 1827年)と結婚した。

1827年5月5日、息子のなかった兄フリードリヒ・アウグスト1世の死去によって王位に即いた。

アントンは1836年6月6日にピルニッツで死去した。最初の妃カロリーネとの間に子供はおらず、2人目の妃マリア・テレジアとの間には1男3女が生まれたがみな誕生後2年を待たずに死去していた。そのため弟マクシミリアンの息子のフリードリヒ・アウグスト2世が王位を嗣いだ。

先代:
フリードリヒ・アウグスト1世
ザクセン王
1827年 - 1836年
次代:
フリードリヒ・アウグスト2世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アントン_(ザクセン王)」の関連用語

アントン_(ザクセン王)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アントン_(ザクセン王)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアントン (ザクセン王) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS