アルフォンソ4世 (アラゴン王)とは? わかりやすく解説

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アルフォンソ4世 (アラゴン王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 09:22 UTC 版)

アルフォンソ4世 / アルフォンス4世
Alfonso IV / Alfons IV
アラゴン国王
在位 1327年 - 1336年

出生 (1299-11-02) 1299年11月2日
ナポリ王国ナポリ
死去 (1336-01-24) 1336年1月24日(36歳没)
カタルーニャ君主国バルセロナ
埋葬 カタルーニャ君主国リェイダ旧大聖堂
配偶者 ウルジェイ女伯テレサ・デ・エンテンサ
  レオノール・デ・カスティーリャ
子女 一覧参照
家名 バルセロナ家
王朝 バルセロナ朝
父親 ハイメ2世
母親 ブランカ・デ・ナポレス
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アルフォンソ4世西:Alfonso IV, 1299年11月2日 - 1336年1月24日)は、アラゴンバレンシア王、およびバルセロナ(在位:1327年 - 1336年)。カタルーニャ語名ではアルフォンス4世(Alfons IV, バルセロナ伯としては3世)。慈悲王(西:el Benigno, カ:el Benigne)と呼ばれる。ハイメ2世(公正王)とその王妃であったナポリカルロ2世の王女ブランカの次男。

生涯

兄のハイメが王位継承権を放棄して修道士となったため、アルフォンソは次男でありながら王太子に立てられた。またアルフォンソ3世はウルジェイ伯領の相続人であるテレサ・デ・エンテンサと結婚し、ウルジェイをアラゴン王国の領土に加えた。彼女との間には王位を嗣いだペドロ4世マヨルカ王ハイメ3世妃となったコンスタンサをもうけた。

1327年にテレサと死別した後、アルフォンソ4世は兄ハイメと縁談があったが断られていたカスティーリャアルフォンソ11世の姉レオノールと再婚した。彼女は後に甥のカスティーリャ王ペドロ1世(残酷王)に息子ともども殺害された。

子女

テレサ・デ・エンテンサとの間に、以下の成人した子女がいる。

  • コンスタンサ(1318年 - 1346年) - マヨルカ王ハイメ3世(1349年没)と結婚
  • ペドロ4世(1319年 - 1387年)
  • ハイメ(1321年 - 1347年) - ウルジェイ伯。孫ジャウマ2世はペドロ4世娘イサベルと結婚し、1410年に王位を要求した。

レオノール・デ・カスティーリャとの間に、以下の2男がいる。

  • フェルナンド(1329年 - 1363年) - 1354年にポルトガル王ペドロ1世娘マリアと結婚した。
  • フアン(1331年 - 1358年) - 1354年にイサベル・デ・ララと結婚した。
先代
ハイメ2世(公正王)
アラゴン王
バルセロナ伯
バレンシア王
1327年 - 1336年
次代
ペドロ4世(尊儀王)



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