アルサケスとの抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 15:12 UTC 版)
「ディオドトス1世」の記事における「アルサケスとの抗争」の解説
遊牧の民ダーハ族の首長であったアルシャク(ギリシア語ではアルサケス)はパルティアへ侵入すると、そこで王と称していた前パルティア総督アンドラゴラスを滅ぼしてパルティア王国の創始者となった(アルサケス1世)。パルティアを乗っ取ったアルサケス1世はその後まもなくヒュルカニア王国も占領し、セレウコス朝、グレコ・バクトラ王国と対峙した。 しかし、間もなくディオドトス1世が亡くなったため、アルサケス1世はその息子のディオドトス2世と同盟および講和を結んだ。
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