アルカンタラの名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 14:45 UTC 版)
「アルカンタラ騎士団」の記事における「アルカンタラの名」の解説
アルカンタラはタホ川に接した町で、川には橋(アラビア語でカンタラ cantara )が架かっており、町の名称はこれに由来する。エストレマドゥーラ州に位置し、12世紀におけるイベリア半島のムスリム対キリスト教徒の主戦場のひとつとなった。アルカンタラは1167年にレオン王フェルナンド2世により一旦占領されたが、1174年には再びムワッヒド朝のアブー=ヤアクーブ・ユースフ1世の手に落ちた。キリスト教徒の手に戻るのはアルフォンソ9世の奪還による1214年(または1213年)までかかった。
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